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現地報告レポート 第1回(5月20日〜5月21日)
第2回(5月24日〜5月30日) 第3回(6月5日〜6月8日)
第4回(6月12日〜7月2日) 第5回(スタッフ紹介)
第6回(livelihood プロジェクト) 第7回(スリランカ滞在の締めくくり)
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第7回(スリランカ滞在の締めくくり)
初日:8月13日
午前中の仕事を済ませ、ランチをオフィスで取った後、スリランカの西から東、そして南への長い旅行へ出発した。メンバーは、Project officerのMr.
Manu、AMURT Belgium のMs.Kthleen、ドライバーの Kevinそして私。これまで我々は長い休暇を取ったことがなかったが、今回の旅行は4日3泊で初めての長い休みであった。Livelihoodのプロジェクトのベネフィシャリーとのミーティングがそもそもの目的であったが、我々は非常に楽しみにしていた。最初の目的地はキャンディー。そこはスリランカのスイス?と呼ばれているところで、緑が美しく涼しい気候の場所とのことと聞いていた。
途中約車で2時間ほど行くともう既に景色はコロンボと全く違っていた。右の写真でわかるように、ヒルエリアである。Mr.Manuの左後ろに見える小さく平たい岩はBible
Rockと呼ばれている岩である。距離はあるが、その大きさは想像できる。たった2時間のドライブで気候も変わり、とても涼しく快適である。私はコロンボとゴールしか知らなかったのでこの差にとても驚いた。
途中お茶の休憩を挟み、約3時間半ほどでキャンディーに着く。写真は丘の上からとったキャンディーの街の中心にある湖。周りは緑の山に過去かまれてとても美しい街である。
幸運にもこのときペラハラ祭の期間だった。ペラハラ祭とは年一回この8月の時期に行われる、世界的にも有名なキャンディーの伝統的なお祭りで、いろいろな種類のスリランカのダンサーのパレード、百頭以上の飾りをつけた象のパレードが有名。世界各国から観光客が集まってくる。そのためホテルも満室のところが多いが、なんとか我々も部屋を見つけることができ、チェックイン後、我々もパレードが始まる仏歯寺まで、スリーウィラー(三輪のタクシー)に無理やり4人乗り(大人3人が通常)、7時過ぎに出かけて行った。
右の写真の象の後ろの寺が仏歯寺。ライトアップされていてとても美しい。ブッタの歯が残されているそうで、世界遺産にも指定されている。パレードは飾りをつけた象から始まった。その後たくさんの男性のダンサー、楽器隊、間にきらびやかな飾りをつけた象たちが現れた。非常にさまざまなダンス、衣装、楽器で飽きさせない。パレードは3時間ほど続いた。 結局ホテルに戻って夕食を取ったのは10時半になってしまった。
2日目:8月13日
本日はいよいよ世界遺産である仏歯寺を訪問。行く途中昨日ペラハラで活躍していた象たちが街のあちらこちらで餌を食んだりして休んでいた。 右の写真の真ん中にある小さい扉の中にブッタの歯がしまわれ ているそうだ。通常は見ることはできないのだが、たくさんの人が列を作って扉の近くまでいってお祈りをささげている。私たちも並んで近くまで行ってみた。
昼食後、これもキャンディーで有名な植物園(ボタニカルガーデン)に行ってみた。思ったより広く、世界中からさまざまな植物が集められていてとても美しいところだった。ジャパニーズガーデンなるものも発見。ちょっと違うという感じではあったが。(中国と勘違いしているような雰囲気であった)
AMURT ベルギーのキャサリンと。
3日目:8月14日
朝、キャンディーを経ち東海岸の町アンパラへ向かう。そこで今回の旅の目的でもある、地元のNGOで我々のパートナーとなる予定の、ディパロカファウンデーションに会うことになっている。
キャンディーからアンパラまでは、ほぼスリランカの中心部から東へ横断することになるのだが、また景色もいろいろだった。多くの山々が連なり、本当にスリランカなのかと驚かされる。壮大な草原が広がっていたり、小さな国なのにほんとうにバラエティーに富んでいる。気候も、移動に従って再び暑くなっていった。15度は違うのではないかと言う感じである。一日のうちにあまりにも気候の差が激しく違うので体の方がなかなか付いていかない。
途中、あるNGOが作ったシェルターを発見。被害にあったと思われる地域からはかなり離れたところにあった。やはりどこに行ってもシェルターは気になる。
約6時間ほど車で行ったあと、アンパラに着き、ディパロカファウンデーションの事務所に行く。その後、被害の大きかったポトゥビルに、ベネフィシャリーに会いにさらに2時間かけて行く。途中タミル人の町を通る。雰囲気は全く異なり、兵士が大きな銃を抱えて町を歩いていたり物々しい雰囲気。町に女性が少ない気もした。
ディパロカファウンデーションの助けを借り、大きな津波の被害にあった海岸沿いのタミル人のモスリムコミュニティーとのミーティングを行った。我々の目的は、Livelihoodのプロジェクトのために、彼らがどんな援助を必要としているか、そしてここでそのプロジェクトを遂行する可能性はどの程度のものか等を知るためであった。ここの人々は津波前は漁業を生活の糧にしていた人が多く、津波にて船や網等を失い今は海に出られない人がほとんどのようだった。多くのベネフィシャリー(100人以上)が集まってきて、そのたいていは女性たちだったが、とても真剣にMr.Manuの話を聞いていた。ここでも彼はカリスマ性を発揮。最後にはベネフィシャリーからの盛大な拍手を頂いた。全体としてのムードはとても良く、いいミーティングであったと我々一同感じた。
最終的に本日の宿であるアルガムベイのホテルに、日が落ちて暗くなってからたどり着いた。アルガムベイは、その美しいビーチと、世界でベスト10に入るほどのサーフスポットで有名であるそうだ。津波の被害は大きかったが、多くのホテルが既に修復をしており、徐々にツーリストが戻って来ていた。素朴な場所ではあるが活気があった。多くの欧米人ツーリストも見かけたし、同じホテルに日本人のツアーの団体客もいた。バケーションにはとてもよい場所のようだ。偶然見つけた我々のホテルもとてもよい設備を持ち、真ん中にプールもあった。加えて、ホテルのオーナーがインド人だったため、Mr.Manuは満足のいくインディアンフードを彼のために作ってもらうことができ、かなり気に入ったようだった。
4日目:8月15日
朝食後、ホテルから徒歩15分くらい行ったところで、今度はシンハラ人のコミュニティーのベネフィシャリーとのミーティングを行った。ここでもLivelihoodプロジェクトの可能性を探ることが目的。
一人の地元の女性が通訳をしてくれた。(上の写真の前列の一番左)ベネフィシャリーたちは始めはざわざわして我々を遠巻きに見ていたが、だんだん話しに乗ってきて、積極的に話し始めた。そして一人の女性が他の女性たちの意見をまとめる役を自発的に買って出てくれた。このような彼らの自発的な意思こそプロジェクトには重要でその成功には欠かせないものでだろう。
ミーティングの後、少しだけ時間があったので、ホテルのプールで泳ぐことにした。全員とてもリラックスでき、楽しい時間だった。せめてあと一日いられたらと思う。
ホテルのプールの前でディパロカファウンデーションの人たちと記念撮影。
結局ビーチに行く時間はなかったが、車からとても美しい風景が見られた。再度我々はスリランカの多彩な自然に感心する。 その後ひたすら南へ、ゴールのオフィスまで約9時間のドライブ。途中昼食、写真撮影のための小休憩2度、そしてお茶の休憩をを一度とっただけでひたすら車を飛ばす。ゴールに到着したのは夜の10時。いかにドライバーのケビンは疲労したことかと思う。今回彼のおかげで今まで知らなかったスリランカをたくさん見ることができた。途中急激な気候の変化のせいか、風邪をひいてしまったが、それを差し引いても余りある、楽しく実りある4日間であり、スリランカ滞在の最後にとてもよい思い出になった。
実は、このレポートはアメリカに帰ってから作成したものである。未だにスリランカとAMURTとの思い出はたくさんあり過ぎて、いかに楽しく実りある時間だったかを再び感じている毎日である。昨日から再び授業が始まり、通常の生活に戻らなくてはならないが、この3ヶ月のボランティア生活で得た経験が、今後の勉強の大きなモチベーションとなるだろう。このような経験を与えてくれたAMURTジャパンに心から感謝している。そして、卒業後、またスリランカに戻って、ベネフィシャリーたちの生活がさらに改善されていることを確かめたいと思う。そのために今回の経験を、勉強と将来の仕事に最大限に活かさなくてはいけないと強く感じている。 |
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