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現地報告レポート

第1回(2007年7月19日〜7月31日)
第2回(2007年8月1日〜8月11日)
第3回(2007年8月12日〜9月9日)
第4回(2007年9月10日〜9月30日)
第5回(2007年10月1日〜10月14日)

第3回(8月12日〜9月9日)

8月12日(日)「ブロードバンド」
先週金曜、ブロードバンドが事務所に導入された。そしてクライアント4台まで同時に使える。スリランカ通信事情を考えたら画期的である。

ルナに頼まれ、google earthと、同じくgoogleから提供されているpicasa2をインストールした。earthを使って早速ゴールオフィスを検索したが、事務所の映像までは網羅していないようである。それとも探し方がまずかったのか。私の住居はきちんと映像が写された。picasa2は写真をweb上で公開するソフトでルナの写真アルバムを作る。ヤフーを当初使おうとしたが、yahoo.comはあと2ヶ月ほどで写真公開のサービスを終了することが判明。IT業界における提供サービスのスクラップ&ビルトの激しさを垣間見る。

8月13日(月)「スコール」
予定では、今日にも先日の自立支援プログラムの件で、IDB(Industrial Development Board)にヒヤリングに行く予定だったのだが、運転手のジャイシンガーが急遽コロンボの自宅滞在を1日延ばし不在になったのと、そしてものすごいスコールでスタッフの出勤が遅れたため、IDBはキャンセル。スリランカは運転手不在と雨が理由になり得るという事である。車がないならバスかスリーウィラーを使えということにはならないんである。私、こういうペース意外と好きだったりして(^_-)。

8月14日(火)「コロンボでビザ延長」
朝8時出発という話で9時に出発する(笑)。ジャイシンガーの運転(彼は昨夜遅くゴール帰着)でニシャンタが付き添い。本当はルナの労働許可延長の手続きが本命だったのだが不手際があり、私の件だけの為に。その為だけにオトナ3人が1日がかり。

ゴールロードをコロンボに向かって走るのは到着した時以来二度目である。要所に赤十字社事務所が。サンゴ礁で有名なヒッカドゥワでは、ドイツ語が目出つ、という事はドイツ人客が多い?それと...ミシン会社の看板が大――きく目につく。この国の産業構造を象徴しているのか。

12時過ぎに入国管理局到着。当局はコロンボにしかないので、全国からここに申請に来る。3階へ。

1.申請書を書く(10分)→2.受付カウンターに行く(ニシャンタが上手く割り込んで5分)→3.写真を撮れと言われ写真コーナーに。男性1人で写真撮影とプリント作業している。ここで30分。3枚で150ルピー。→4.管理官のブースにてニシャンタが延長理由説明。帰りの航空券を求められて見せる。これが決め手になったか。約5分→5.再び受付カウンターに。担当の女性は管理官のサインを確認して申請書に延長内容を記入。約5分。→6.再び管理官ブースに。内容確認後サイン。約3分。→7.手数料支払う。2750ルピー。約3分。→8.発行カウンターに手続き済みの書類とパスポートを持っていく。誰もいない。3分待つ。どこからか役人が来て別のスタッフに声をかける。そのスタッフが受付。 →9.1時間半待つ。時計は15時近くを指す。先ほどの管理官がニシャンタを見つけて声をかける。「なんでまだいるんだ?」「まだ発行されてないんです」管理官おもむろに奥に向かう。私のパスポートを携えて戻ってくる。「ほら」あっけなく延長許可発行される。他のスタッフはランチか帰宅か知らないがほとんど残っていない。ニシャンタ「管理官が親切に声をかけてくれたからよかったものの...」

発行カウンターの後ろにパネルが大きく掲げてあった。堂々と。

Secret of success is “hard work”.これはきっと私たち申請者へ向けたメッセージに違いないわーん(ーー;)。

すぐに帰路に着く。途中で遅いランチを取ってゴール事務所に19時過ぎ到着。お二人とも本当にお疲れ様でした。

8月15日(水)「終戦記念日」
月曜の夜、突然の知らせが入る。「スーダン勤務のワシャンタが水曜早朝に一時帰国する。」ジャイシンガー大忙し。一昨日の夜自宅からゴールに戻り、昨日はコロンボを往復し、軽く夕食の後、再度コロンボの自宅に戻る。そして今朝早くワシャンタを迎えに空港へ。

ハリンディが心配。妊娠6ヶ月目の彼女、腹痛が続くらしい。

ニシャンタから現在政府が進めている津波被災民への自立支援政策の話を聞く。農地を貸し出し自作農としての自立を図るもので、アムルトもそれに参画しようと努力しているとのこと。また宗教とNGOの話になり、かつて、ある特定の宗教を持つ団体が、被災民への援助の名の下に彼らの改宗を図る行動に出たことがあったと。難しい。信仰心のあつい人はそれが救われるための最善の道と信じて疑わない。だから、純粋に「自分がいいと思うものを薦めたい」と強く思うこともあるだろう。本当に宣教したければ「絶対に薦めないこと」が肝心だと思うのだが。ある人に強く惹かれその源泉が宗教にあることを「どこからか」知ったときに初めてその宗教に興味を持って人々が近づいていく。そんな流れこそ最善のような気がする。あ、話が横道に逸れました、すみません。

最近思うのは、自己主張は強ければ強いほど人は後ずさりするんだなあということ。というか、自己主張の仕方によるのかな。驕りがすぎると先の大戦のような世紀の大勘違いが生まれるのであーる。日本では終戦記念日。インドは独立記念日。韓国や台湾では光復節。スリランカは...ごく普通の1日。

8月16(木)-17日(金)「ワシャンタ帰国」
スーダンから1ヶ月の休暇を取って帰国したワシャンタが事務所にお目見え。超エネルギッシュ。「彼ほど精力的に朝から晩まで働く人を見たことない」とは同僚の弁。私は決して仙人ではないが(そんなこと言われなくても誰でも知っているか)、私に向かって話すときの彼の超超まっすぐな視線は、強い信念を持った人だということを十二分に感じさせる。中東で長く働き、いろんな人間模様を見てきて、津波に遭った母国に休暇で戻ってきてアムルトに出会った。そして現在は母国を離れ単身スーダン勤務。聞くと、奥様の術後の経過が思わしくないという。だけど、彼の表情は田中邦衛とルパン三世(私の好みかなり入ってます)を足して二で割ったなんともいえないいい表情をしているのである。「善い行いをしていれば絶対に悪いことは起こらない。そうし始めて今まで悪いことは起きた事がない。」ここでいう善い行いとは何か、悪いこととは何か、という議論は置いておく。そう信じきれる強さを尊敬したいと思う。そういう事には最も疎くて弱い私への戒めとして。

そんな信念の塊のような彼がやってきたせいかどうかわからないが、この数日間スタッフみんなでバタバタしていたルナの労働許可期間延長の件で光が見えてきた。来週に上手く決着がつくといいのだけど。

8月18日(土)「スタディツアーをきっかけにしたスタディ」
スタディツアーで予定していた被災者訪問を一部変更せざるを得ない状況だということが判明。東京からは1週間以上も前にメールにて依頼内容を明示していて同時に私からも説明していたのだが。その時は何の問題もないという話だった。いろいろ忙しい事もあるのだろう。最近感じることだが、たとえ早いうちに確認していても、きっと今日にならないと一部変更の事態は判明しなかったのではなかろうかということ。当日近くにならないと切迫感が持てないというのもあるだろうし。

8月19日(日)「servant」
インドでもスリランカでも経済力のある家庭が雇い入れるのは日常の光景のようだ。ルナにインドでの賃金の相場を聞いたら、一ヶ月での賃金は日本人の数時間労働程度の価格だった。「それだけ貧しくて仕事にあぶれた人がいるということ」ならしい。貧富の差が考えられないくらい大きいということだ。どんなに低賃金でも仕事がないよりましなのか。スリランカはインドほどではないのかな?もう少しプロフェッショナルな感じを受けるけど。よくわからない。とにかく、これは使用人の仕事と判断したら、本当に家人は何もしないとのこと。3歩動けば届く物も家人は彼らに持ってきてもらう。どこにいても、家人に呼ばれたら使用人は忽ちやってきて御用聞き。郵便局へのお使い、スリーウィーラーを呼ぶなどなど...。使用人側も心得ていて、それが仕事なのだからと黙々こなす。これが既成事実として社会は成り立っている。雇い主は雇用を供給しているという意識、雇われ側はこれで生活できているという意識。こちらでは当たり前の光景でも、今だに慣れないでいる。

8月20日(月)「受益者もいろいろ」
1人の老齢の女性が訪問。数時間にわたってワシャンタやニシャンタと話し合っていた。というか、一方的に女性が話すのを、こちらが聞いている感じ。後で「どなた?」と聞くと、かつて生活支援プロジェクトの授業を受けた受益者だという。息子さんは医師で十分な収入があるけど、最近家を新築したらしく私への援助が滞っていると。プロジェクトで学んだ技術を生かして商売しようにも道具を買うお金がないから買ってほしい、というのが訪問の主旨ならしい。スタッフがそれは難しいと説得。ふむ。人生いろいろ。

スリランカ縦書きカレンダー
8月21日(火)「停電」
10時から18時頃まで停電。こちらに来てこれだけ長時間の停電は初めてである。メールチェックだけは早めにしておいたが、その後は何もできない。外はものすごい土砂降りの雨。断続的ではあるが。ハリンディの体調も思わしくないので、とにかく今日は開店休業となる。夕方、食料品の一括買出しに同行。途中、ゴールの中心街にあるアムルトの受益者の屋台でピーナッツを買う。10cm四方の大きさの袋に入って10ルピー。香ばしい、ちょっとガーリック風味?、これはいける。ここには他にも数台のアムルトの受益者の屋台が。その後、ゴール市街地にある果物マーケットと八百屋、スーパーに行く。4000ルピーで3-4名の1週間分か。八百屋でスリランカならでは?のカレンダーを見つける。

8月22日(水)-24日(金)「ゆるゆる」
先日書いたスタディツアーの一部変更は、結局元のさやに収まった。ほっ。日本人が几帳面すぎるのだろう。物事の進め方がゆるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい。

ルナの労働許可延長手続きなどのせいで、本当はばたばたしているのだが。政府の対応が担当者によって変わったり(そりゃあもうコネ社会)、規則も頻繁に変更するというのがある。ウェブサイトで事前チェックできるかといえば、公開されている手続きと実際の運用は全く異なるのである。

ただーし!最近、ゆるゆるを快感に感じるのはいいこと?帰国後の再就職に一抹の不安(ーー;)あ、いや、これは個人的な話。

受益者による作品の数々
懐かしさを感じるデザインが多い
8月25日(土)「受益者の商機拡大」
日本からのスタディツアーが本日から31日までスリランカを訪問。来週木曜日には生活支援プロジェクトを受講して裁縫、刺繍、コイヤマット製作を始めている受益者が、日本人ツアー客向けに商品を展示販売したり、ツアー客による製作体験の場が予定されている。それに出席する2名の受益者宅(共に刺繍やレース編みで工場や店を持っている)を訪問した。既に前任のボランティアの方たちも訪れているから、彼女たちも慣れているよう。

懸命に彼女たちの作品を次から次へと見せてくれる。レースブラウスを一着購入。品質はいいのではないか。ただ、これまでのボランティアの方がおっしゃっていたように、デザインがあまりにも普通すぎる。それと前も書いたが、スリランカならではの特徴がほしい(製作者独自のオリジナルデザインでももちろん構わないのだが)。1人はPCを持っていて当然メルアドもあるようだ。ならば是非それをタグかシールにつけて、accessibilityをよくするというのも手。電話や住所よりもメルアド一つ記すほうが今は便利。

色は真っ白より、生成りなどの方が無難かな。真っ白は汚れが目立ちやすく少しでも製品に汚れを見つけたらお客は買わないだろうなあ。それからわざわざ花瓶敷きやテーブルクロスのような製品でなくても、小さめのコースター程度のサイズのかわいらしいデザインの端切れっぽいもの、そういうものをTシャツやジーンズに縫い付けてオリジナルのウェアを作るっていうのもいいんじゃなかろうか。私ならそんなことしてみたい。誰も持っていない私だけの1枚。英国向けに、そういう小物を5ピースほどアソートしてクリスマスツリー用のオーナメントとして5ドル(ポンドでいうと3-4ポンド?)ほど仕入れているそうだ。そういう方向性、私もいいと思う。

と、無責任にも思いついたままの意見を述べていたが、それだけでは申し訳ないような気がして、目ぼしいものは来週の展示販売会で購入して、帰国後、私の友人達に意見を聞くことにした。

8月26日(日)「留守番」
本日夜の便でスイスから到着するスリランカの統括責任者のマヌを迎えに行くためルナとジャイシンガーが午後事務所を出発。本日は私とインディカ2人。夕食は、私のためにあっさりめ(ああ久しぶり)のチャーハンを作ってくれたお返しに、彼に頼まれて簡単な日本語を教える。

8月27日(月)「スタディツアー①仮設住宅と恒久住宅」
朝、スタディツアーの一行が事務所を訪問。ワシャンタ、ニシャンタ、ハリンディで、これまでの活動内容説明と、参加者からの質問に回答。当時、フィールドで最前線に立っていた二シャンタ、ワシャンタ、話し出すと止まらない(笑)スリランカ人通訳のクマラさん、たじたじ(^_^;)それだけ、信念を持ってやったということだろう。ツアーの皆さんの質問は多岐にわたるも、どれだけ公平さを保ったのか、今や復興政策は被災者全員に概ね行き届いているのか、という視点で共通していたと思う。その後ピヤディガマという地区にニシャンタ引率で移動。そこではアムルトの仮設住宅2軒(もともと30軒あった)と別のNGO(CARITAS SED)の恒久住宅棟が近接して建っている。仮設住宅は05年建設で保証期間は1年のため、今は劣化が著しい。本来なら恒久住宅に移っているはずが、手続きのトラブルで未だ出られず。一方、恒久住宅は2階建て集合住宅。そのうちの一軒(雑貨店)の中を見せてもらう。玄関は吹き抜けになっていて2階はバルコニーもある。建設中は建築コンサルタントのチェックも入り万全の環境といっていい。店の経営も津波前より上向きだそうで。立地場所は海岸より近く津波前の職業(漁業)を継続できている家も多いと聞いた。クマラさん「自分の家よりいい」と驚く。

1年の保証期間が切れ傷みの目立つ仮設住宅 近隣に2階建ての恒久住宅


みんなで写真
興味津々の目、目、目
8月28日(火)「スタディツアー②障がい者施設と山奥の小学校」
ポヤ・デー。お寺まわりはどこも華やか。
事務所からすぐ近くの心身障がい者施設を訪問。スリランカのお金持ちが開設して40年余り。児童~50代まで70人足らずの障がい者を、医者と看護師を含めて13人のスタッフで世話をしている。5名のイギリス人個人スポンサーの寄付だけが頼りで、あと2年でその寄付も切れるという。政府からは各人300円/月足らずの支給。へ????

診療室、ベッドルーム、食堂、プレイルーム、職業訓練室(縫製、PC)、遊具のある広場。各々のクオリティを問うまい。この施設がいまここに存在しているだけでもよしとすべきなのかもしれない。

そして、津波の時は肢体不自由者が40名逃げ遅れて亡くなっている。所長たちが助けに来た時は「It was too late.」水が入ってきた場所は廃墟のまま。さびれたベッドがそのまま。

入居しているみんなの人なつこい笑顔はどこも同じ♪(*^_^*)時間を忘れていつまでもいたい気分になる。

午後は、マタラ中心部から山奥に1時間ほど入った所にある学校を訪問。「ジャングル」という言葉のイメージに近い環境。創立100年近くになるが外国人訪問は初めてらしい。壁のない講堂にスコールが吹き込む。副校長・校長のスピーチに始まり、生徒による伝統舞踊、歌唱、演説、お芝居と歓迎セレモニーが続く。次に日本人全員が壇上に上がりお礼を述べたあと、折り紙(鶴)で児童と交流。生徒にもみくちゃにされる。何を言っても大はしゃぎ。一挙手一投足に大大大反応。女の子はまず自分で懸命に努力しているが、男の子は最初から放棄「折ってえー(たぶんそう言っているのだろう)」。日本語で「だめだめだめ!」と叫び続けるがそのたびに大笑い。そんなに嬉しいかと、とにかく思いつきで日本語シャウト&シャウト。彼らは「アンタらしまいにゃ死ぬで」というほど笑う。あっという間にお別れの時間。

図書室でお茶とお菓子をごちそうになる。そこで先生方は、学校の窮状を口々に必死に訴えかける。トイレを案内してくれた若い女性教師からは何度も日本製のペンをせがまれる。ふう。

8月29日(水)「スタディツアー③受益者との交流ともうひとつの障がい者施設」
午前中は紅茶工場見学。午後はアムルトのマイクロビジネストレーニング(刺繍コース)修了者への刺繍台の受け渡し式が寺院を借りて開催され、ツアー参加者は壇上にて受益者に受け渡し役を担う。

受け渡し式前には、受益者による製作デモンストレーション(コイヤマット、刺繍、コイヤロープ)があり、ツアー参加者は食い入るように見つめる。受益者の製品販売会もあり、みんな大喜び。何せ、レースのブラウスが800円前後、クッションカバーが350円くらい。コイヤマットだと小サイズで300円。安い!受益者は津波以前からある程度技術を持っていた人ばかりなので、品質もこの値段からしたら申し分ないと思う。受益者にとっては今では市場拡大が大きな課題となっている。コロンボのお店やスリランカの国営土産店ラクサラなどに卸しているようだが、先日記したように輸出市場に大きな関心を寄せている。受益者と日本人が顔が見える形で接する機会を「定期的」に持ち(実際に会わなくてもスカイプとかでもいいと思う)、受益者が「能動的」に日本人から「情報を取る」といった光景が見られれば嬉しい限りなのだが。そこまでアムルトがこれまた「能動的」「積極的」に指導するべきなのか(経営コンサルタント的なことまでするべき?)、いわば、アムルトとして自立支援をどこまで支えるかをどう考えたらいいのだろう?

えーさて、そうこうしているうちに、社会福祉省大臣夫人(大臣自身は日本出張中とのこと)が到着して、受け渡し式が始まる。司会役のニシャンタが、ツアー参加者も含め来賓の紹介。受益者一人一人の名前が読み上げられ来賓者から刺繍台を渡される。

待ちに待った引渡し式 壇上にはツアー参加者も 一人ひとりに手渡し

その後、昨日に引き続き別の障がい者施設を訪問。昨日に比べると規模も小さいが、ここはロウソクやお線香や封筒を生産して卸している。といってもたぶん利益など全然出ていない。「外に出たらいじめられる」「世の中から隔離されている」「前世に悪いことをしたので傷がいを持って生まれたのだという考えが強くある」等の厳しい現実を聞く。「かわいそうだと思ってみないでほしい。お金よりも自立する方法を教えてほしい」と所長。

東京スタッフの伊藤さんとツアー参加者の森さんがお線香を買った。お金を渡したら、リーダー格の目の不自由な青年が手の感触でお札をしっかり見分けて対応してくれた。

彼らなりに心を込めて作っています 熱く語る所長


無我夢中で話し合う
みんなで「ぞうさん」唄いました
8月30-31日(木-金)「スタディツアー④日本語を勉強する児童、そして....」
30日はゴールからコロンボへ移動後、国会議事堂を見学。31日は、コロンボ郊外にある日本語学校で生徒と交流。生まれて初めて日本人と話すという生徒も多くいる。

とにかく!生徒のまっすぐな瞳。紅潮した顔。ひたむきという言葉はこの子たちのためにあるのだろうと思う。思いがけず、去年スリランカ一人旅でお世話になったガイドさんとも再会でき(先生として勤務していた!)、DESTINYに感謝。

さて。
仮設住宅、恒久住宅、障がい者施設2軒、山奥の学校、受益者への引き渡し式、日本語学校。訪れるたびに、「私がこのような立場に立たされたらどうするのだろうか」と問いかけてみた。もがきながら問いかけながら、そうしたら時間があっという間に過ぎて明日が来ていて、振り返ると1日生きていた、いや、1日経っていた、ということしか想像できない。そんな毎日の中に、日本人がちょこっとやってきた、ということかもしれない。「お茶を濁しただけ」なのかも(ーー;)

何もしないで立ち去る後ろめたさと、「かと言って安易な援助は安易な依存を生むだけだし」ともっともらしい理屈探しの苦しさ。あーそんなつまらない気持ちしか湧き上がらない自分の小ささに辟易(T_T)。

ただ、その場を訪れた日本人全員が、訪れる前とは明らかに違う意識を持ったのは事実だろうし、訪問時に感じた感覚はカラダが覚えていて、各々のその後の人生できっといつか、いい化学反応を起こすに違いないと信じている。(と、この程度しか表明できない私はボランティア調整員として失格かも(-_-;) )

スタッフが直談判した知事
9月1日(土)「新しい資金の話」
朝からあわただしい。スイスにある助成団体「Geneva Global Inc.」から急遽連絡が入り、衛生事業(トイレ設置と水供給)について至急プロポーザルを提出してくれないかという。これまでのアムルトのスリランカでの活動を高く評価してくれていて、先方からわざわざノミネーションがあったのだ。

リミットは月曜日。最もそれを必要としている学校と地区を選び出さなければならない。設置するのは60トイレ。どうしたか。ゴール地区を傘下に収めるSouth Province知事の居場所を突き止め、彼の演説会場まで出向いていって彼に直談判。そこで、彼の部下が明日の日曜日に目ぼしい地区を選択して連れて行ってくれるという。

9月2日(日)「情報収集は続く」
もう一つの主要な情報はコストである。昨日お会いした知事の部下の方から紹介されて、ワシャンタが地質分析のエンジニアリング会社にコンタクトを取る。今日の調査で探し出した候補先地区についての土壌調査をしてもらうべく予め手配。それに基づき基礎工事から全てのコストが判明する。

本日、一人の老女が突然訪問。明日、病院に行くが診療代をくれないかという。彼女、この間は確か、お米代を要求してきたなあ。前回に引き続きわずかばかりのお金を渡すが、スタッフもこれが本来の援助とは思っていない。後味の悪さが残る。

9月3日(月)「今日がリミット」
朝から昨日に引き続きニシャンタとワシャンタがいろんな地区を回って候補となる学校探し。19時過ぎに帰社。とりあえず必要な情報は全部ゲットしたらしい。候補先の学校を回って生徒数やトイレの数を実地確認してきた。コストもなんとか入手した。

シンハラ語から英語に訳す必要があるため、一度帰宅した身重なハリンディを再び事務所に呼んで作業してもらう。23時ごろやっと終了。私はみんなの作業を見守るだけ。英訳のお手伝いを少しした程度。力になれなくてすみません<m(__)m>。

9月4日(火)「一段落そして」
ここ数日間の情報収集方法は、目を見張るものがあった。行政高官に直接直談判し、彼の指示が部下に行き、その部下がアムルトの調査に同行して案内してくれて....それも週末である。ニシャンタとワシャンタは担当者の自宅住所を聞きだし必要ならそこに行こうとした。スリランカではそれが普通なのだそうだ。そのフレキシビリティには脱帽。無理だ、日本では、と、思う。アムルトがそれだけ行政側から信頼を受けている証なんだよ、とスタッフ。そうだとしたら何てすごいこと。一旦、具体的な目標を持ったスタッフの動きは本当に迅速で素晴らしいものだった。フィールドに出たスタッフがどれほど活き活きとしていたことか。水を得た魚とはこの事をいうのだろう。自立支援プロジェクトが3月で一区切りついてから、今までプロジェクトがなく、新しい資金を得ようともがいていたスタッフとは別人だ。私がスリランカに来て初めて見たスタッフの姿。これが本来の姿なのであろう。9月5日(水)「一段落そして、の、そして」

昨日、「本来の姿」と書いたが、プロジェクトがない時は本来の姿ではないのだろーか?注文をもらえばそれこそ寸暇を惜しんで働くが、注文がないときはどうしたらいい?、みたいな事なんだと思うのだが。スリランカ事務所はいわば生産工場で、注文がないとラインが止まる、みたいな事がここ数ヶ月の状況のような気がする。もちろん、ただ作業が止まっていたということはない。生産(活動)資金を得ようと頑張っていた。でも残念ながら結果が出ていなかった。

本来は、資金獲得は支援国事務所の仕事かもしれない。でも、結果が出ない場合、真っ先に影響が出るのはローカルスタッフだ。事務所閉鎖、解雇。あれ?これって支援国資金に頼る被支援国政府と全く同じ構造じゃないか?いやいや、国自体が残念ながらまだ脆弱だからこうやって国際NGOが存在するんだな。ニワトリとタマゴになってしまった。おっと。

誰がどう叫んでもこの世はMoney always comes first. 受益者に自立を求めるなら、同時にNGOスタッフも食いぶち(資金)を見つける必要に迫られている。

ただし決して忘れてはならないのは、「お金が全てではない」こと。そこを見失っていないここのスタッフに希望あれ!

9月6日(木)「宝くじ売りの女性」
1ヶ月前からほぼ毎日事務所にやってくる。60歳前後。お昼の暑いさかりに。生活の苦しさが身なりからすぐわかる。スタッフも贔屓にしている。ルナは時々、雨でびしょぬれの彼女に服を提供している。

当初は門扉の所で売買していたが、懸命な姿に心打たれて、私たちは彼女に紅茶を出すようになった。
そうしたら、やがてこちらから何も言わなくても、自ら事務所に入って椅子に腰を下ろして紅茶が来るのを待ち、ゆっくりしていくようになった。

宝くじの抽選は21時から始まり毎日テレビで生中継されている。みんなでいつも抽選結果に一喜一憂。

数日前からは、夜に来るようになった。昨日は、抽選開始10分前に来た。多くの売れ残り。スタッフはあわてていつもより多めに購入。

ところが、本日、19時半以降は販売禁止だという事が判明した。そして今夜は20時に来た。あいにくスタッフは出払っていない。インディカと私だけ。インディカは女性にルールを説明して何も買わず、私は明日用のくじを買った。

9月7日(金)「大統領」
昨日から、いや1週間ほど前から厳戒体制。本日、大統領がゴールに来て演説。我が力見せつけんと、バスを何台もチャーターして聴衆を調達するそうな。大統領の旗を振りかざし大声で叫ぶ人で満員のバスが、わが事務所前を何台も走り去っていく。先週、知事に直談判した場所は、今日の大統領のゴール来訪を皆で歓迎しようと住民に呼びかける集会だった。警察に職質されるとややこしいから、とルナと私、外国人は、外出を控え終日事務所で大統領の演説のニュースを眺める。ニュースは強烈な熱気と、狂列の聴衆を伝えている。あるスタッフはこの演説を聞きに行き、画面を指して、「この横断幕、自分も端を持ってたんだ」と興奮気味に教えてくれた。かと思えば別のスタッフは「内戦への処置はわかるけど、でも私服肥やしまくってるっていうし」とクール。

例の宝くじの女性は、今日は午前中に来たらしい。

9月8-9日(土-日)「No objection letter」
先週末奔走した件とは別に、スリランカ政府が実施を検討している農業による自立支援プロジェクトの実施を受託しようとアムルトは動いている。これはIFAD(International Fund for Agricultural Development)からの資金を政府が得て実施しようというもの。資金の流れがIFAD→政府→NGOという構図になる。一方、IFADから直接NGOが資金を得て、政府の農業自立支援プロジェクトを請け負うという流れもアリなんだそうだ。で、アムルトは双方向から資金を受けようとしている。いずれにしろ、政府からお墨付きを得たNGOであることをIFADに対して証明する必要があるため、政府からこのNGOが実施するにあたって「私どもは異論ありませんよ(No Objection letter)」という一筆がほしい。誰にもらうのか?と聞いたら「大臣か副大臣」。簡単に言えるところがスリランカ!

日曜は、スタディツアーに同行していた東京スタッフの伊藤さんがご主人とともに事務所を訪問。わずかな時間であったが、楽しいひと時だった。スリランカでの夏休みを満喫されたようだ。帰国したら東京にてじっくり再度お会いできればと思う。


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