AMURT
アムルトジャパンとは
アムルトジャパンの活動
ニュースレター/年次活動報告書
アムルトジャパンを支援する
ニュース
リンク
企業の皆様へ
お問合せ
 
e-kokoro
E-ボランティアネット
 


現地報告レポート

第1回(2007年7月19日〜7月31日)
第2回(2007年8月1日〜8月11日)
第3回(2007年8月12日〜9月9日)
第4回(2007年9月10日〜9月30日)
第5回(2007年10月1日〜10月14日)

第4回(9月10日〜9月30日)

副大臣より うやうや
しくいただいた
9月10日(月)「No objection letter もらえました」
めでたく社会福祉省副大臣(弁護士さんでもあるらしい)からもらえました。こういう人が普段はコロンボにいるんじゃなくて、ゴールにいるのね、と彼の事務所の住所を見てふと思う。

9月11日(火)「スリランカ政府のこと」
ハリンディとスリランカ政府の政策についてちょっと話す。「この国には製造業が育っていない。日本は製造業の力があるよね。」「政府はちょっとしたことでも何でも外国企業に発注するのよ。国産では作る力がないという理由だけではない、自分たちの懐に入ってくるお金が目当て。で、コストも高くつく。スリランカの日常品を見てごらん、ほとんどが輸入品。」確かに食飲料品以外は、輸入品だらけ。中でも中国製品が目立つなあ。産業が育たない国内をあきらめ、国民は海外へ出稼ぎに。多くは中東やインド、英国だそうだ。が、行けるものなら日本なのだそうだ。これは一部の人に聞いただけではあるが。政府も国際的に活躍できる人材(外資への就職や国外での活躍)の育成に力を入れ、それによって雇用率のアップだけでなく生活レベルを上げようとしている。優秀な人材の豊富さによって自国の国際的なpresenceを高めたいのだろう。

って、あーた。優秀な人材や製品のモノサシが「海外」(海外で通用しないと一級品でないような)である以上、その国の地力、殊にモノ作り力を自ら否定しあきらめていることになるんじゃなかろーか、ハリンディの言うように。過渡期においては、海外に学ぶという事が不可欠だろうけど、その学びや気づきを自国に還流するという意識がこの国には少ないのだろうか。と何の証拠もないのだが、ちょっと心配。
私の大勘違い、大間違い、であってほしいと願っております。

9月12日(水)「突然、町中がパニック」
夕方5時ごろであっただろうか。インドネシアでマグニチュード7.9の地震発生、津波の恐れありというニュースが入ってきた。急いでネットにてBBCニュースを確認すると、インド洋全域に津波警報が出た模様。ただ津波センターは津波の発生は未確認とのこと。とりあえず警報を出したようだ。

その情報にいささか安心していたら、どうやら通りの様子がおかしい。車がこぞって山側に向かっていく。ざわざわとした雰囲気。けたたましいクラクション。インディカ「みんな逃げている!」

まもなく、ジャイシンガーの車でニシャンタが帰社。鬼のような形相で「10分だけ時間を与えるから貴重品を持って!これからハリンディの家に避難する!」私とルナがあわてて荷造り。ジャイシンガーの車で彼女の家に到着。運転の様子からその狼狽ぶりは尋常じゃない。ニシャンタは家族を連れて妹さんの家に。

彼女の家でニュースを見る。20時~20時半に津波が来る可能性あり、と伝えているらしい。来る途中で、東京事務所の原田さんに一報を入れ、ネットで情報を集めてほしいとお願いする。携帯の使用が制限されているのか極度に使用が集中したのか、全然つながらない。日本から持ってきた私の携帯を使ってみる。お、つながる。という事で、私の携帯を使ってケニアにいる上司にルナが状況を説明。原田さんからは「安倍首相辞任のニュースばかり。ネットで検索するもインドネシアでの地震のニュースしかない。」

9月13日(木)「いつもの朝に戻る」
結局-。何も起こらなかった。ふう。
しかし、昨夜のスリランカ人のあわてぶりはすごかった。まだ、彼らの脳裏には生々しく記憶が残っているのだ。といって時間が経てば忘れるものでもない。朝私たちを迎えに来たジャイシンガーは、「まだ警報は解けていないんだ」と渋い顔を崩さない。

オフィスに戻ると特段の笑顔でインディカが「グッドモーニング!」彼とジャイシンガーは昨夜ニシャンタの妹さんの家にいたとの事。外では警察が「まだ警戒が必要。情報に十分注意してください」とマイクで巡回している。「でも、今停電中で、テレビもネットもつながらないんだけどねー」私たちは苦笑い。

本当に何も起こらなくてよかった。本当に。ここにいる全てのスリランカ人がそう感じているようだった。

日本では、どの段階で注意報・警報と出していって、最終的に強制避難させるかのシステムが一応ある。スリランカでは、まだだ。少しでもリスクがあれば、万が一の事を考えて警察や軍が動く。あのような被害は二度と起こしたくない。今取れる手段としてはこれが唯一最善なのだろう。ただ、人の気持ちというものは慣れてくると怖い。強制的に避難させたが何も起こらなかった、ということが何回も続くと、避難勧告が出ても「どうってことない」という気持ちが必ず起きるものだ。狼少年現象というべきか。警報側にはその意図がなくてもだ。

何も起こらないのが一番いいに越したことはないんですけどねえ。

ブッダの歯が収められている仏歯寺
奥の金ぴかの中に仏歯が奉納
9月15-17日(土-月)「キャンディとヌワラエリヤへ」
ルナと2人で小旅行を敢行。朝6時半の電車でゴール駅を発ち、9時半にコロンボ着。あいにく席が取れず、開いたままのドアから3時間ずっと海の景色を眺める。快晴。コロンボで1時間待ってキャンディ行きの電車に乗る。4時間半の旅。2等切符だったが、3等車にしか席を見つけられずそれでも席があるだけましと座る。爆睡ながらも、高原地帯にかかると風が急に涼しくなり、薄目で(すごい眠気)景色を楽しんだ。

キャンディは日本でいうと京都。明らかに外国人とわかる私に向かってタクシーやガイドの売り込みがすごい。ルナによるとふっかけ率が尋常じゃない。群がる彼らをまいてホテルに着き、すぐ隣の仏歯寺を訪れる。仏陀の歯が奉納されている(通常は金ぴかの箱に入って見られません)この寺は、仏教を国教とするスリランカの誇りを体現しているようなものだ。何回ものボディチェックを経てやっと境内へ。夕方の礼拝(puja:プージャ)で、楽器隊が音楽を奏で、僧侶が祭壇に礼拝して、歯が奉納された部屋の扉が開く。これでもか、という黄金色。扉の周りは合掌しながら奉納箱を一目見ようとする人々がすごい。厳かさと熱気と。

翌朝はバスでヌワラエリヤに行く。「うちのバスに乗りな」「いやこっちが早く着くよ」「妨害するな」「本当だ」行き先を連呼して車掌が客を必死で呼び込む。席が埋まらないと発車しないのである程度埋まった特急バスに乗り込んだはいいが、わっ寒い。エアコン効きすぎ。曲がりくねった山道をものすごい速度で走りぬけるものだから、気分悪くなるわ、トイレに行きたくなるわ、悶絶の道程だった(>_<)。ヌワラエリヤ周辺は紅茶畑が広がり、天気がよければいつまでも寝そべっていたい天国のような心地よい風景が広がっている(実際は行ったことないのだが:苦笑)。だが、あいにくの風雨と寒さ。ざんねーん(-_-;)。それでも気を取り直して、さらにバスで20分ほどのハッガラ植物園まで足を延ばす。植物そのものよりもそこからの光景が絶景。ハッガラ→ヌワラエリヤ→キャンディに戻ったときはぐったり。インド料理レストランで「上を向いて歩こう」をライブで唄ってもらい多少回復する。

最終日は、朝、街に面した山上にある大きな白仏像ホワイトブッダまでスリーウィラーで行き、街を一望した後、キャンディ→コロンボ→ゴール、計8時間のバス路。体が座席の形に硬直したみたい。エアコンのものすごい威力も理由のひとつ。

仏僧の苦行のような旅だった。でもこれが市井のスリランカ人の旅模様なのだろう。ものすごーーーーーく不便、と、思ったら日本人は便利なように変えていく。この国の人は、好む好まざるは不明も、結果として不便を甘受して現在に至っている、という事か。どちらがいい、悪い、の問題ではなく、彼らが選んで辿ってきた軌跡をそれはそれとして尊敬すべきなのだろう。でも便利とか効率一辺倒で突っ走ってきた私たちにとって、もしかしたら、実は彼らの方が先を歩いているのかも知れないなあとも思ったりして。

ハッガラ植物園 植物園にて 古都キャンディを見下ろす
山上にはホワイトブッダ
ホワイトブッダで修行中の
幼い僧侶。向こうには
キャンディ湖が。

9月18日(火)「なつかしいな」
たった3日間、事務所を離れていただけなのに、ものすごくスタッフみんなが恋しかった。今日、久しぶりに会って嬉しさがこみ上げる。知らない間にかけがえのないものになっていたのかとも思う。

9月19日(水)「ワシャンタ帰国」
ちょうど一ヶ月前に休暇で帰国した彼だが、今日、スーダンに旅立っていった。陸軍従事後、サウジアラビア、クウェート等で働いてきて(中東への出稼ぎはこの国の人はとっても多いです)、津波直後に偶然地元で出会ったアムルトに入りまる3年。去年からはスーダンに派遣されている。「おしん」を4回見たという彼。同じアジアで仏教国の日本が憧れの国だそうだ(^_-)。アメリカ文化に汚染されちゃいけない!とシャウト。安倍首相の退陣は立派だったとも(引き際の潔さが素晴らしいんだとか)。奥ゆかしさとか武士道という観念が大好き。今の日本に降り立ったらさぞ失望するだろーな。そうわかっていながらもやっぱり行きたいと何度も私に訴えかけていた彼。過酷なスーダンの環境が彼の気持ちを日本に向かわせるのかもしれないなあ。来年5月にはスーダンでの勤務を終えスリランカに帰ってくる。その後彼がどういう人生を歩むのかわからないが、日本でサバイバルに奮闘する彼を見てみたい気もする。

9月20日(木)「日本語教師来訪」
先日のスタディツアーで訪れた日本語学校(コロンボ近郊)でお会いした日本語教師(スリランカ人)が、本日事務所を訪れた。彼はゴールの隣町のマタラに住んで日本語学校を経営している。今度、彼自身が日本語検定を受けるにあたり、不明な点が多々あるので教えてほしいという事だった。コロンボならまだしも、ゴール付近には日本人はおらず、普段は日本にいる先生に電話をして聞いているということだった。

試験の過去問題集を持ってきて早速勉強開始。2級。うわ驚いた。「~することがおおございました」(多くありました)ってな表現が出てくるし、主語にかかる形容詞節が長くて、日本人でさえも、再読しないと簡単に意味が取れない。それと「ジジババ」なんて表現も!(もちろん祖父母のことという注釈つき)

他の注釈を読んでいると私が誤解して解釈していた言葉もあり、いやはやこちらが教えられました。

日本語を説明したのだけれど、自分自身の事を話したような気分になった。私には日本語は母語であり意識の全てである。全てのモノ・コトを日本語を通じて認識している。どのような場合にどんな言葉を使うのか、という質問などは、私の感性が問われているようでとても緊張してしまった。年甲斐もなく(-_-メ)。

9月21日(金)「Industrial Development Board: IDBによる靴製作実習コースの修了式」
ワークショップがあると聞いて伺うも、実は12日間の上記コースの修了を記念した展示販売会(実施中に製作した靴を格安で販売)および修了証書授与式だった。ゴール、マタラ、ハンバントタdistrictを含むsouthern province全体を統括するIDBディレクターも出席して式が始まった。ニシャンタと私は一番前の席に座らされ、一部の生徒への修了証書の授与の栄誉にあずかる。来賓側に座った人が一人ひとり挨拶していき、最後に修了書の授与。

展示してある靴は何日目に製作した靴なのかが表示されている。毎日違うデザインを作ったようだ。150円~500円前後だ。全てハンドメイド。

IDBは現在、貧困層の自立支援に力を入れており、このコースもそういう人々を受講生に選抜したようだ。実習は、この修了式が行われた同じ民家で実施された。この家は、家主の女性の好意により提供されたのだそうだ。その女性は修了式にも出席し大きな拍手を受けた。

実習状況が見学できなかったのは残念だが、民家の一室を借りてやったところなどを見ると、思っていたよりこじんまりした内容だったんだろう。1NGOが十分手伝える範囲のようだ。そしてNGOが彼らの負担で請け負ってくれればIDBにとってその費用が浮くからありがたい。アムルトはこの製靴実習コースの運営をIDBから受託できないかと考えている。なので、IDBもアムルトに機会があればこうやって関連セレモニーに招待してくれているのだろう。

それにしても、この民家はものすごい山奥(スリランカ感覚では全然そうじゃないと思うが)にあった。

それを思うと、ここに12日間通ってきた20数名の受講生と教師、この修了式に集まった行政高官とNGO関係者10数名の思いが近いものに感じられたような気がした。

IDB製靴トレーニングコースの
展示販売会
自宅を授業に開放した女性の挨拶 修了書授与の名誉にあずかる。
写真中央にIDBの当地管轄の高官

9月22-23日(土―日)「映倫」
タイトルをつけて、ちょっとゾクゾク(爆)。テレビでインド映画を見ていると、突然、モザイクがかかった!モザイクにモザイクが続いて、ちょっと一体何のことだかストーリーがさっぱりやんか.....あーなるほど!そういうことか。でも、日本人が考えるものとはずーーーーーーっと程遠いシーンが実際は繰り広げられている。道徳コードはスリランカはものすごく厳しいのである。

ちなみにインド映画は今でこそキスシーンのある映画は出てきているが、昔は、タブーだったそうだ。そういやリチャード・ギアがそれを知らずに公衆の前でインド女優にキスして大ブーイングを受けてたな。

それにちょっと関連していうと、性に関する基礎知識教育ってのがこちら(スリランカとインド)では全くないという。インドでは先ごろ国連の資料を基に教材が作られ、授業が始まったが、ものすごい論議(過激すぎるという伝統派からの大反論あり)を呼んでいる。

説明手段は各々の文化的背景を尊重しないと。でも、生きていく上で大切なコトだから包み隠さずきちんと説明してほしいと思う。

9月24日(月)「待ちに待った晴れ」
久しぶりに快晴である。今日は一度も雨が降っていない(17時現在)。こんなこと1ヶ月ほどなかったんじゃなかろうか。当たり前のことが当たり前じゃなくなると、ものすごく貴重に思える。人間の自分勝手なところである。私なんかその典型で、いろいろ大失敗をしてきた(p_-)。あ、天気の話でここまで逸れるか。

ここに来て日本で当たり前だったことが当たり前でなくなって、一番辛かったこと。幸い皆のサポートのおかげであまり浮かばないが、1つ挙げるとすれば、私一人では一切外出できないこと。こちらではあくまでアムルトのメンバーとして生活しているので、この枠を外れて安易に行動はできない。

ここでは、特に女性は、外出の自由がなさそうだ。娘の仕事場への送迎や休日の外出はすべて父親が車で(ある程度裕福な家庭)、なんてことよくある。それから仕事中の携帯への電話もすごい。もちろん女性の一人暮らしなんてあり得ない。そういうお国がらというのも影響している。
でも、こんなことくらい、全く贅沢な悩みってもんだ。

.......だけど........やっぱり.........気ままなおばさまには辛い(脱兎逃)

9月25日(火)「ネット障害」
先週木曜あたりからインターネット接続がおかしい。プロバイダーというより電話回線会社に問題があるようだ。何回も抗議の電話をするが、「スタッフを派遣する」と言う回答が未だ実現されず。で、なぜか夕方になると繋がる。この電話会社は日本のNTTも大株主になっていたはず。半分ODAのつもり?そういや、日本の新首相は日本スリランカ協会(だったかな?正確な名称不明)の会長などされていたはず。ま、それはどうでもいいか。

9月26日(水)「ポヤ・デー」
一日中本当にいい天気だった。今日はお休み。フルムーン・デー。夕方から、ピースパゴダ(以前のボランティアの方も訪問され、活動報告にも載っている。)にお参りに。多くの家族連れが、長い山道を歩いていく。お寺からは遥かインド洋が見渡せる。一方でゴールの街並みも。

私たちは、燭台にあるたくさんの器のいくつかをココナッツオイルで満たし、そこにやわらかいコットン状のろうそくを浸して火をつけていく。少し長めのお線香も静かに立てた。

瞑想中の人がたくさん。空を見上げると大きな満月。日本では見向きもしなかったけど。現金なものである。信仰ということについては、今までもこれからもたぶん、特定の宗教に関わりそうにはない。けれどこうやって月に1度くらい、ピュアな気持ちで瞑想や様々な思いに耽るひとときを習慣的に持つのはいいなあと思った。日常に溜まった心の垢の浄化作業とでもいうのだろうか。

ピースパゴダの
仏像で祈る人々
アムルトスタッフも
神聖な気持ちで...
夕暮れが近づく中
思い思いに人々は過ごす

9月27日(木)「え、そうなの?」
ハリンディ、ルナと3人で話していたら発覚した。
というのも、しばしば2人から「これを英語でどう言うの?」という質問を受けて、私が和英辞書を使って「こんな言い方あるよ」と教えると、「すごいすごい!」の大合唱なので、「ねえ、シンハラ語-英語辞書、ヒンディ語-英語辞書って自分たちで買ってないの?」と聞いたのだ。

2人「そんなの売ってないよ(-_-;)」
私「えーーーーーーー!(?_?)。学校ではどうしていたの?」
ハリンディ「英語でわからない単語があったら英語-シンハラ語辞書で調べてた。それだけ。」
私「例えば、シンハラ語のフレーズを英語でどういうのかなあと思ったりした場合は?」
ハリンディ「そうよね。そんな時困ってたの。辞書がないんだもの。」
ルナ「インドでもヒンディ語-英語辞書、売ってるかもしれないけど大きな都市の本屋にしか売ってないかも」
私「ひぃ~~~~~~~~~!(*_*)」
という事で、スリランカとインドでは「母国語-英語辞書」がほとんど流通していないことが発覚。ものすごくショック。そんな状況で彼らは英語を勉強して駆使していたってこと?それがなんかショック。

9月28日(金)「障がい者施設支援」
先月末のスタディツアーで訪問した施設のうち、ロウソクや封筒などを製造している障がい者施設のサポートに向けての動きが東京オフィスで始まった。大上段に構えるのではなく、今すぐ出来る範囲から。私も実際訪問して、所長(彼自身も目が不自由である)の話を聞いているだけに、どんな形であれ実ってほしいと思う。

9月29日(土)「under parents,under husband」
「女性は結婚するまでは「両親」、結婚したら「夫」に従わないと駄目。」

夕方以降の一人での外出は原則禁止(同性の友人との付き合いももちろん例外ではない)、友人との日帰り旅行なんか両親つきか兄弟つきならOKってな話はスリランカでは常識なんである。当初こんな例を聞いた時、鎖につながれたようだ、などとひどく思ったりもした。この国での女性としての人生って....とため息もつかせてもらった。世界的に見ると、人権・差別・エンパワーメントなどと言ったスローガンが大声挙げて突進してきそうな状況である、この国は。

ただ、幸福という尺度は、究極に主観的なもの。人生の選択肢が限られていても、この国に生まれてきて、世界には女性にとってもっと自由で豊かな国があると知りながら、ここの文化で育ってそれに従って結婚して、ものすごく幸せな人生を送っている女性がたくさんいることも実感で知った。

限られた選択肢での人生がどれだけ幸福なのか。依然そう思う人も多いだろう。私もそう思っていたのだが。話している本人の目を見たら本当に幸せな道を懸命に歩んでいるという事が伝わってきた。思いが変わりつつある。

9月30日(日)「スタディツアーアンケート」
アムルトジャパンのサイトが更新されていて、先月のスタディツアーに参加された方の感想が載っていた。早速英訳。

受益者の作品については、品質的には概ね好評で、あとはデザインや種類、サイズの豊富さを求める声が多かった。一番難しいと思われる品質について評価されたのは特筆すべきことではないか、と思っている。

また全ての方が、ツアーの前と後で、大げさにいうと価値観が変わったというコメントを残されている。少人数でも、各人の中には大きなウエーブがあった。津波はもう御免だが、こんなウエーブなら大歓迎。


ページトップ

2006 AMURT Japan All rights reserved