現地報告レポート
第1回(2007年1月12日〜1月19日) 第2回(2007年1月20日〜1月26日)
第3回(2007年1月27日〜2月2日) 第4回(2007年2月3日〜2月9日)
第5回(2007年2月10日〜2月18日) 第6回(2007年2月19日〜2月25日)
第7回(2007年2月26日〜3月7日)
第2回(1月20日〜1月26日)
1月20日(土)
早朝から再びコロンボへ向かう。現在、次のプロジェクトとして、職業訓練学校の開設を計画しているので、その建設候補地に立ち寄る。ゴールロードに面しており、交通は便利。元は学校と職業訓練校だったらしい。写真のとおり、津波により破壊され閉校。皆、再開を望んでいる。インフラ面(水道や電気など)の整備は目処が有るらしい。裏の家は廃墟かと思いきや、人が住んでいた。テレビを外に置いて使っている。犬も飼っている(津波で?怪我して3本足)。このような半壊の家はそこら中に見られる。まだまだ復興途中である。
コロンボへ近づくと(津波の被害が無かったので)町は被災のない本当のスリランカの光景に変わる。ただし、渋滞はひどく、相変わらず運転は荒く、町はごちゃごちゃした印象。
建設候補地、左は元学校、
右は元職業訓練校。
津波のダメージを残したまま放置。
廃墟。もちろん建替となる。
裏の民家。
これでも人が住んでいる。
1月21日(日)
午後からJICAの展示会に向けて受益者の家を回る予定の為、朝6時半出発でゴールへ戻る。途中、コロンボ郊外で給油。1リットル当り、軽油60ルピー、ガソリン78ルピーとのこと。円とスリランカルピーは大体同じぐらい。およその目安として、そのまま円に置き換えて考えてもらえれば良い。
ゴールへ向かう途中、海岸が近づくとココナッツ、椰子の木が目に入る。スリランカの海岸沿いにはたくさん生えており、貴重な資源と考えられる。マイクロビジネスアシスタンスの一つであるコイア製品作製には、この殻を使っている。無論果実は、食用、飲用として使われる。ゴールロード沿いでも、キングココナッツを収穫し、その場で販売している姿をよく見かける。ドライブ中などに立ち寄り、その場でカットしてもらい、中の果汁を飲む。飲んだ後は、中の果実を食べやすいようにかき出してくれるのでそれも食べる。写真の男性は、自分が採った野生のココナッツを売って生計を立てている。まあ、それで生活は出来るそうである。
コロンボ郊外のガソリンスタンド。
ゴールオフィスの近所の
ガソリンスタンド
道端でキングココナッツを男性。
客の為に切っている。
ココナッツの木に囲まれた家。
津波で破壊。このような風景が続く。
1月22日(月)
午前中、外へ出たついでに、ニシャンタの家を訪問。彼の家は津波で水没した。彼自身はコロンボに居たらしいが、家族はゴールの家に居た。朝、大きな異音(津波の来る音)を聞いて走って逃げ出し、生き延びたと言う。しかし隣に住んでいた祖母は逃げ遅れて亡くなった。祖母の家はダメージが残ったままだ。彼の家の中に入り、壁を見ると私が手を伸ばした高さ辺り(2m位の高さだろうか)にそこまで水がきたことを示す跡が残っている。彼の家の破損レベルでは被害は軽い方になり、公的な援助は20万ルピーだったと言う。当然全く足りない。家の中の扉のガラスが割れたままだったり、鏡台の鏡が割れていたり、彼自身の生活もまた、復興途中なのである。近所には、災害直後からさまざまな団体が訪れ、復興に手を貸してくれたそうである。その直後から彼はアムルトスリランカで働くこととなる。
オフィスに戻り、空港での展示会の最終準備に入る。各作品に、アムルトの名前と受益者の名前、連絡先が入った札を取り付ける。コイアマットや、布製品(袋やクッションカバー、テーブルクロス)、レース製品等様々である。さて、布製品にどうやって札を取り付けようかなと考えていると、皆、ホッチキスでバシバシ留め始める。“えぇ~それはないだろう、穴が開いちゃうよ!”と驚くが、やってしまったものはしょうがない。私も、汚れの有るところの上に札をつけるなど少々ズルいことをやりつつ無事予定通り終了。その際、およその値段を教えてもらったが、それから考えても日本で十分に売れると考えられるものが少なくないと思う。ただし一部には残念ながらデザインがあまりにも単調なものがあるのは前述したとおり。この辺については、日本側で力を入れようとしているので皆さんのご協力をお願いします。
昼からいよいよ展示へ向けての事前チェックを受けに、DS(DistrictSecretariat;まあゴール広域を管理する役所と思って下さい)へ向かう。ここでJICA等、関係者に展示品を選んでもらう。ここで、この地区のLivelihood
CoordinatorであるSILVA氏に挨拶。光栄である。既に数人の方々が自分の作品を持ってJICAの方の到着を待っている。どうも団体で乗り込んできたのは我々だけらしい。JICAの方達は強行日程で巡回しているらしく、しばらく待たされたが無事に到着された。そう言えば、シンガポールで乗り換えして以降、久しぶりに日本人に会う。申し訳ないが、面倒なことを日本語で説明させて頂いたりしつつチェックしてもらう。今回は特に、我々のコイア製品に非常に興味を持っていただき、4点が展示されることとなった。スリランカの海岸沿いに生い茂るココナッツにいろいろな手を加えることで素晴らしい製品が出来ることをアピールしたいとのこと。生産過程などの紹介も検討していただけるようである。非常に喜ばしいことだ。これを機会に市場が広がって、受益者の収入向上が出来ることを願う。もっと津波被災者が復興の為に努力していることをアピールして行きましょうということと、スリランカをイメージできるデザインを重視しましょうとのコメントも頂いた。いろいろと参考になる話を聞くことが出来、非常に有意義であった。展示は、空港のセキュリティエリア内で行われる為、飛行機に乗る人しか見ることが出来ない。開催期間は2月の1ヶ月間。私は見ることが出来ないが、これを読んでいる方でその期間にスリランカを訪れる方がいらっしゃれば、是非チェックして頂きたい。なお、アムルトジャパンのHP上でも紹介されることになると思う。
なお、JICA黒田氏からは、非常に貴重なご意見を頂きました。特に私は素人なので好みだけで見てしまっているようなところが有るのですが、お話しすることでどう考えれば良いのか、いろいろ“気付く”ことが出来ました。この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。
全く関係ないが、DS内の壁に5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)が掲げてあった。しかもニシャンタはこれを日本語で言えた。この言葉、こんなに浸透してるのかと証拠写真を撮ろうとしたがハリンディが止めたので断念。でも彼女は後から自分の携帯のカメラのシャッター音をDSオフィス内で鳴り響かせやがった。私の写真はDSの外観のみということで。
ニシャンタ家。壁は津波により
破壊されたまま。
壁にかかる絵の上端付近に冠水の跡。
拡大。額縁の紐を掛けている
釘の辺りに冠水の跡。
彼の頑張りで、
この笑顔が続くことを祈ります。
展示品チェック。左からハリンディ、
ルナ、ニシャンタ。
DS前。手前の車に日本のODAの
ステッカーが見える。
1月23日(火)
午前中は、屋台の素材を手配したり、訪問客に対応したりの普段の仕事。ゴールの町をいつものように走る。今日初めて列車が走るのを見た。この色の列車が津波の餌食となった写真を見られた方も多いであろう。
町では、バスも重要な移動機関である。非常に多くのバスが走っている。この国は全島に渡って人々が住んでおり、国営、民営含めバス網はとても発達している。満員で走るバスをどこでも見かける。ただしどのバスも老朽化しているが。驚くのは、バス停と言わずに結構どこでも(?)乗せてくれること、しかもきちんと停まらないことが珍しくない。お年寄りが走って飛び乗るのを見たことも有る(中の人が手を差し出したりして。スリランカ人は親切!?)。夕方などはバスに入りきれずにステップに立ち、体は外に出したまま手すりにしがみついている若者もいる(それはそれで楽しそう!?)。これほど人気なのは何と言っても安いから。コロンボ−ゴール間(100kmぐらい)のエアコン付直行便で片道150ルピーだという。普通の安いバスならその半分以下だとか。皆で私を騙してるんじゃないかと思うくらいの安さ。これぞ庶民の足である。
今日は、あまり遠くへは出なかった。しかし、ゴールのオフィスからゴール駅辺りまでのほんの2~3kmだけでも、写真のような状態である。常に津波の跡がここにあり、毎日それを見つめる状態である。
職業訓練学校(Vocatinal Training Center;VTC)について、詳しい話をしようと言っていたが、ニシャンタが昨日より体調を崩しており中止。頭痛がして、熱も出ているらしい。スタッフの多くがアフリカへ向かい、外での仕事がニシャンタだけになった今、皆で一緒に頑張っているとルナは言うが、いろんなことが結局ニシャンタ頼り。これでは体も壊すのも無理は無い。頭痛と熱だと聞くと日本ではすぐ風邪だと言ってしまうんだけど、こっちではどうなの?わからないので医者頼り。
ゴールからヒッカドゥワ方面へ
走る列車。
これは国営バス。
ドアは開けたまま?
全壊。
海が近い為厳しかった。
今も住んでいる。
もちろん戦場ではない。
1月24日(水)
我々の受益者の製品の市場拡大等を考えると、デザイン力向上が望まれるところだとは前に述べたとおり。そしてアムルトジャパン側もその辺りを十分考えており、昨年からデザインの参考になる資料を集めて受益者に展開しようとしているそうである。こちらのスタッフに確認したところ、昨年入手分は既に全て受益者に渡してしまったとのこと。信頼出来る受益者を選んだとのことであるが、冊数が少ないので皆が平等にアクセス出来るようにすべき。デザイン能力などで妙な格差が出てきたり、不平等などの声が出始めるとまずい。いずれは小さなライブラリーなどを作ることもアムルトジャパン側から提案されている。そこへ受益者が集まるようになれば情報交換も出来る。定期的なデザイン検討会なども開けば、横のつながりも出来、お互いの能力向上に良いのではないだろうか。ここはしっかりスタッフみんなで議論していきたい。
今日は、アムルトジャパン側からの要望で、実際に資料を使っているところを撮影しに出かけることにした。手っ取り早く最も近いゴールのバスステーションの裏、チャイナガーデンに住む受益者の家を訪問した。彼女の家も当然、津波の被害を受けている。しかし、家は既に修復しており中はとてもきれい。さまざまな装飾品で彩られている。十分に収入を得られるようになったからだ。彼女はミシンのマイクロビジネストレーニングを受けた。その作品はとても素晴らしく、いろいろなところから彼女の家まで買い付けに来るらしい。だから今は外での販売はしていないようである。実際、製品を見せてもらおうにも売れてしまってあまり在庫がないのだ。確かに見ると良い出来である。またデザインセンスも有るようだ。彼女はアムルトジャパンが渡した一冊の日本の雑誌を参考に見ていた。多分彼女は大成功した例だと思う。(製品を買いたくても手持ちが無い!)
センスを磨くにはたくさんの物を見た方が良いと思うのだが、現在の状況では、受益者自信で情報を得ることは非常に難しい。これに関しては、今日の私の写真を使って(?)、アムルトジャパンHP上で上述の何らかのサポート活動が始まるはずです。私のこの文をお読みの方も、是非ともご協力をお願い致します。非常に有効に使われるはずです。ほら、本当に見ているもの。
AMURTの支援による彼女の
ミシンの前で。手元に雑誌が。
彼女の製品。売れ残り??
笑顔の母。きれいな家である。
1月25日(木)
今日は、ニシャンタが復帰。昨日、電話で話すのも難しい状態だったが薬と注射と十分な睡眠で復活。もう大丈夫と言う。2日程止まってしまった受益者への素材購入と配達に、ニシャンタ、ジャイシンガー、私の3人で向かう。まずはいつもの穀物類を購入する店へ。ニシャンタが作製した受益者ごとの素材リストを元に、必要な物を計量、仕分けしてもらう。客をさばきながら我々の大量注文に対応する為、時間がかかる。作業を任せて次の店へ。野菜は野菜のマーケット、果物は果物のマーケット、と売っている場所が分かれている。それぞれのマーケットの決まった店を順番に回る。この一帯はニシャンタの言葉を借りるとビジネス街(少々違うような?)で、ここに来れば何でもそろうらしい。いわゆる商店街。中には屋台もたくさん並んでいる。オランダ大使館のプロジェクトによる屋台も見つけた。途中、金物屋にも立ち寄り、スケールを購入。ここはタミル人の店だった。別に関係ないよとジャイシンガー。結局、買出しだけで2時間半かかってしまう。
配達は広域にわたり、各受益者の家を探しつつ回ることになる。最初に向かったヒッカドゥワ付近でニシャンタが一人の女性の家に案内してくれた。海岸からすぐ近くのエリアだ。標高が低く、遮るものがやしの木だけであり、津波の影響が大きかった地域だ。近所では列車が津波で破壊され、1500人が亡くなったと言う。さて彼女はミシンのトレーニングを受けており、作品もすばらしい。ミシンも我々のオフィスにあるものよりも断然きれいに磨かれていてとてもきれい。道具を大切にするのは非常に好感が持てる。ご主人と息子さんも紹介してくれたが、娘さんは9歳で亡くなったそうである。もちろんあの日に。彼女の家は2階建てだが1階が半分無く(写真参照)柱だけで、むき出しの階段が2階へと続いている。冠水の対策なのか?と錯覚するが、実際には1階が津波で破壊されて無くなってしまったのだ。この辺りの家の被害はひどかったらしい。現在建て直されている家は、ほとんどが何らかの団体、機関、基金等のサポートであることを示す掲示がされている。UNHCRやらUSAIDやら、様々な名称を見ることが出来る。どういう分担なのか、世界中から集まるいろんな団体で役割を決めつつ、一つのことを進めるのは難しかったことだろう。
配達の途中で電話が入る。屋台の受益者が、開店の準備が出来たので最終確認にどうしても来て欲しいと言っているらしい。それならと途中で立ち寄る。彼の屋台は上部をガラス扉付に改造している。改造に当たってはニシャンタが相談を受け、追加支援での改造を了承したそうである。到着後、改造状態を確認したのち、“ニシャンタがガラス扉の鍵を開ける”と言う4人だけの開店セレモニーを行い、いよいよ開店。ニシャンタが一番に買うと言い出し、最初の客になる。そのやりとりの間にも次の客が来て待っている(と言うか、割り込んでくる)。良かったね。最初の食べ物は、私が先にチェックしちゃう。衛生面の教育も受けているから安心。美味しい。食べすぎ。でもニシャンタは食べすぎに気を付けようね。
各受益者のところを回るとき、必ずニシャンタが私のことを(少し大げさに?)紹介するもんだから、みんな気を遣って必ず何らかのおもてなしを出してくれる。お菓子やら飲み物やら。断るのも悪いので食べる。次の家でも食べる。その次も食べる。屋台の受益者なんかだと食べないわけにはいかないからまた食べる。ほとんど“スリランカ食べ歩きの旅”状態である。光栄です。ニシャンタは食べすぎ。
町で素材を購入。受益者には
金銭でなく素材を。
1階の半分は破壊され柱だけ。
2階に住んでいる。
きれいに使われているミシン。
見ていて気持ちが良い。
PULLING CART-改
ニシャンタお買い上げ。
隣は割り込む客。
1月26日(金)
ヒッカドゥワ地区、ゴールロード沿いで屋台を開く受益者。彼女は果物などを売っている。ここへも素材を配達。後ろに見えるのは津波のモニュメント。1780人が眠ると言う。今まで何度となくここを通ったが、やしの木の木陰にひっそりと立つ碑にはこの日まで気づかなかった。確かにこの辺りは破壊された家が目立つ。家が建っていたと思われる跡だけが残っているのも目に付く。そしてたくさんの墓も。ここで屋台を開くのはやはり意味があると思う。もしいつかゴールロードを走ることがあれば、ヒッカドゥワの津波のモニュメントとその横の青い屋台を見つけてあげて下さい。そして出来ることなら立ち寄ってあげて。やしの木に囲まれた中。民家の被害が大きなあたり。道路の海側です。
今、何だかよくわからないけど、「発熱する病気」がスリランカ全土ではやっているらしい。ニュースでやっていたそうである。受益者でも熱が出た人がいるらしい。スタッフも、ルナ、フローリン、ニシャンタ、そして今日はハリンディと次々にそれにかかってしまった。ハリンディは、熱が出ているらしいので今日は早めに帰った。次は私の番だとみんなが言うけど、どうでしょう。ジャパンパワー。
今日は、ゴールオフィスから歩いていけるところに有る海岸沿いのホテルに大統領が来ているらしい(ニシャンタ調べ)。散歩がてら様子を見に行こうかと思ったら夕方から雨。ぼんやりしていて洗濯物を干していることを忘れていた。私もついてないが、大統領もついてない。そのホテルの夕日はとても素晴らしいのに。
今日は3度も停電。夜の停電はやっぱり嫌だ。暗闇ではパソコンの灯りだけが頼り。今はすぐ灯りがついたが、4度目が来ると嫌なのでこれで終わり。
津波のモニュメントの前で
営業中の屋台。
娘さんに素材を手渡すジャイシンガー。
後ろが津波碑。
モニュメント付近、
破壊されたままの家。
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