現地報告レポート
第1回(2007年1月12日〜1月19日) 第2回(2007年1月20日〜1月26日)
第3回(2007年1月27日〜2月2日) 第4回(2007年2月3日〜2月9日)
第5回(2007年2月10日〜2月18日) 第6回(2007年2月19日〜2月25日)
第7回(2007年2月26日〜3月7日)
第5回(2月10日〜2月18日)
2月10日(土)
今朝は、ハリンディが出勤後すぐに停電した。彼女のデスクトップのパソコンが使えない。しょうがないので昨年分の会計の作業だかなんだかを食堂のテーブルでやっている。私はオフィスでお客さん対応(除シンハラ語)。ニシャンタとジャイシンガーは、受益者の確認に出て行った。危険なところに行くときは私は同行しない。我々の訪れるところにはあまり治安の良くない地域もあり、朝から酒を飲んでいたり、ドラッグをやっていたり。そこへ外国人の私が行くと、何かくれと付きまとわれたり、面倒なことになりうるから。そういうところも見るべきだとは思うが、下手にそんなところに出かけて、何かトラブルになると業務に差し支えるので、身の程をわきまえて遠慮。
昼、2人が一旦戻り、午後は私も同行。土曜は本当は半日勤務なんだよねえと笑いながら仕事。ゴールの町で屋台の受益者に必要なものを買い揃える。まずは、電気式のホットサンドメーカー(食パンをはさんで焼くやつ)を求めて電器屋へ。約1200ルピー。ちなみに、屋台の受益者の為に準備する素材や道具は、商売内容にもよるが最低でも6000ルピーぐらいとのこと。なお、屋台そのものは約20000ルピーだ。それぐらいで商売を始められることになる。もちろんトレーニングで身に付けるビジネス知識も重要だが。
次に、屋台にセットするガラスケースを発注に行く。ガラス製品を作ってくれる店の様だが、仏像もたくさん売っている。何だか良く分からない商品の取り扱いだが、ここで寸法を伝えて商談。見本品は、アルミ板を曲げて枠を作ったり、ガラスを接着剤で固定したりとか。少々、寸法の狂いもあったりして、いかにも手作りと言う感じ。まあ、使用には問題なさそうなので良しとする。商談成立。土曜の午後2時に2つ発注したのだが、月曜には物を渡せると言う。思いがけない早さに驚いた。なお、食品を屋台で販売する場合には、ガラスケースに入れて保管することと言う衛生上の規則が有る為、食品を販売する受益者には、用途に応じて屋台を改造している。
その後、ニシャンタが見せたいものがあるからハバラドゥワ(地名:ゴールの南)へ行こうと言ってどこかへ連絡を取る。何を見せてくれるのか楽しみだと思ったら、海岸沿いの小さな家?に着く。ここは、靴の作り方を教えているところだと言う。確かに、狭い部屋と外のベランダで、10~20人くらいの女性が、一生懸命サンダル(スリッパと呼んでいる)を作っている。皮にゴム底を貼り付けて、紐の部分を結びつけ、形を整えて....とそれぞれがサンダル作りに没頭している。講師の方が私に、生徒の一日目の作品と二日目の作品を見せてくれた。まだまだ品質はだめだけど、進歩が見られる、この調子で12日間練習すれば、良いものが作れるようになるんだよと話してくれる。その間にも、生徒が作り方の質問に訪れる。講師は丁寧に一度自分でやってみせ、それから同じことを生徒にやらせる、それを見ながらまたアドバイスを与える。やり方のコツなども一生懸命教えているようだ。他のところでは生徒同士で作り方について議論していた。ともかく非常に活気に溢れている。こんな活気に溢れたレッスンは久しぶりに見た。皆とても楽しそうだ。多分、講師の人柄も有るのだろう。教えるほうも教えられる方も、どちらもやる気が有る時には、講義は非常によいものになる。これはみんな楽しんでいるうちに良いものが作れるようになるだろうなとうらやましく感じた。
その講師の方が、私にサンダル作りに必要なものを見せてくれた。工具は、ペンチ類(穴を開けたり、金具を固定したり)、ハンマーと台座、メジャー程度だ。一箱に収まる。これを全てそろえても1500ルピーだと言う。あきらかに屋台より安い。当然ミシンなど比較にならないだろう。素材のコストを考慮しても、これまでのトレーニングに比べて、かなり低コストで出来るとのこと。ここにニシャンタは注目しているようだ。教育では、サンダルの整形を機械式のサンダー(砥石が回転するヤツ)で行っていたが、それを使う必要も無いであろう。ただし、本格的な靴の作成になると木型(足の形をしたヤツ)が必要になるのだが、これがひとつ1000ルピーぐらい(不正確)するそうで、これを各サイズごとに各自揃えるのは少々きついかもしれないと洩らしていた。しかしこのサンダル作り、需要は有るし可能性は非常にある。一つの地区で同じ種類のトレーニングだけを続けていくわけにはいかない。(当然、屋台で溢れかえっても困るわけで....。)この辺でマイクロビジネストレーニングは終了と聞いていたが、こんなことをニシャンタは思い描いていたのか。この件は、どうしてもやりたいようだ。講師もかなり乗り気のようだった。と言うのも、「ゆうこ、まさる、みき」と講師の人が前任者の名前をすらすらと挙げるではないか。ニシャンタはきっと皆をここに連れて来たんだろう。講師がアムルトと組むことを楽しみにしているようだ。多分ニシャンタとずっとその案を暖めて続けていたんだろう。今日見たことを絶対アムルトジャパンに伝えてくれって言ってたし。
私自身は、マイクロビジネストレーニングの実際の授業の風景はまだ見たことがないのだが、今回見た印象では、これを取り入れても必ず成功するだろうと感じた。実は今始めようとしているマイクロビジネストレーニングが、講師の都合とやらでずるずる日程が遅れて困っている。当初予定からもう2週間もずれ込んだ。こういう講師だと少々不安だ。しかし今回の講師は非常に好感の持てる人で、何よりこのプロジェクトを楽しみにしている様子が伺えて非常に良かった。期待大。
余計な話だが、ここではサンダルは必需品だ。私も到着早々に買いに行った。しかし私がサンダルと呼ぶものは、こちらではスリッパというみたいだ。ジャイシンガーに「サンダル買いに行きたい」と言ったら、「OK、サンダルウッド!」と言って車を走らせる。「サンダルウッドじゃなくて、サンダル」と言っても、「OK、OKサンダルウッド、任せておけ!」てな調子。「サンダル、足、足!」と言うと、「Oh、スリッパ!」だと。ジャイシンガー、何買わせる気だよ。
本日、結局夕方6時過ぎに戻ったのだが、その頃やっと電気が来たと言う。なんと朝9時から夕方6時まで、私が赴任してからの最長記録。まるで何かの営業時間みたいな停電。
夜のTVのニュースで、津波被災者の恒久住宅の入居式の映像が流れていた。団体名などは聞き取れなかったが、多分ベントタ辺り(ゴールとコロンボの中間ぐらい)。まだこのようなニュースが流れるんだなあとしみじみ感じた。
ガラスケース見本。食品を扱う屋台には必需品。
トレーニングの光景。
講師、自らやってみせる。
生徒、早速やってみる。
サンダル作りに必要な工具。
各自で教えあう。
何喋ったんだか、皆ニシャンタに拍手。
2月11日(日)
今日は完全に休み。予定では次週の土日は休めないし、週明けからいろいろ忙しい為、ここはしっかり休もうと皆で話した。ジャイシンガーは土曜夜に一人でコロンボの自宅に帰っていった。その為、足も無い。スリーウィーラーで出かけることも出来るのだが、完全休養にすることに決める。ところで、私が受益者から買ったコイアマットの“ヤシ蔵”。私の部屋のベッドの足元に置いてある。飾りではなく、本気で使っている。ちなみに、コイア製品は、ヤシの実(ココナッツ)の繊維(短いひもみたいなもの)を依り合わせて一本のロープにし、それをさらに編んでコイアテープにし、それをさらに....(前任者森本さん報告参照)。で、出来上がった製品は、どうしても繊維の端がところどころ出ている。仕上げの段階で受益者がはさみで切っているが、この製品の作りから言って、これはどうしようもない。こういうものだ。玄関にこのマットを置いたときに、裸足で乗ったらどうなるんだろうと常々興味を抱いていた私は初日にトライしてみた。恐る恐る乗ったのだが、なんてことない。当然、刺激はあるが、いかにもコイア製品という肌触り(足触り?)。何だか心地いい。もちろん裸足で足を拭く為に、なんていうのはきついかもしれないが、そういう方にはミシンの受益者のマットをどうぞ。写真は部屋の様子である。なかなかいい感じと思うのですが?私はいつもマットの上に足をおいて本を読む。するとこの写真のような眺めになるわけだ。JICA黒田氏が指摘したのはこのことで、この状況を想定してデザインしてみては?と言うこと。足が置きたくなるようなデザイン。さて、最後の写真は、インディカが紅茶と一緒に出してくれたスリランカのクッキー。デザインがココナッツの木。そしてモロにCOCONUTと書いてある。普通の安いクッキーなのに、なかなか雰囲気出ている。ココナッツを使っているのに、ココナッツの柄のコイアマットが無いんですよね。まだ。
さて、ご近所の貧しい親子の話(金曜の続き)。実は先日、早めに仕事を切り上げて夕暮れ時に庭でボケッとしていると、門の先に見えるあの壊れた家の前に女の子が居るのに気づいた。私に手を振っている。母親も兄弟も出てきてこちらを見つめている。どうしようかと思ったら、母親が女の子に何か渡したようで、女の子がこちらに走ってくる。受け取ってみると手書きの手紙。内容は前回と同じ。返事が無いから伝わっていないと思ったのか。女の子をオフィスに呼んで、英語は通じないので、インディカに通訳をお願いし、「今はまだどうするか考えているところだよ」と伝えてもらう。そして少しのお菓子と私の職場の女性が援助に使ってと託してくれていた新品のタオルを渡す。ごめんねと言う意味で。女の子が私を見て、にこにこ笑っているのを見ていると、このまま何もしないわけにもいかない気になる。
先日の答え。屋台のトレーニングは既に修了しているのでもう参加できない。もちろん最後のミシンのトレーニングへの追加も無理。で、どうするか。実は屋台はかなりの台数が町に出ている。我々は定期的にチェックしていて、行いの悪い者には警告を与えている。私は知らなかったのだが、数回の警告で屋台没収というルールになっているとのこと。ニシャンタはその没収した屋台を回してはどうかという。また屋台が必要なくなった人が出た場合(定置での商売に変わる等)に、それを回す手もある。後はビジネストレーニングをどうするか。オフィスに近いから、いろいろサポートは出来そうである。でも、屋台の入手までにあまりにも時間がかかるようなら(あまり望ましくない入手方法だし)私自身が屋台1台と素材の代金を出してもいいのかなという気にもなった。彼女が仕事を得られる機会を得られるのなら。
彼女だけが特例になってしまうんだけど、それは我々の隣人だからということで。聞けば近所の人達が少しずつご飯をご馳走してあげたりとかサポートしているそうだ。ご近所さんを助けることが出来ずに、我々のプロジェクトうんぬんもないのかな。硬いこと言う前に、やらなきゃいけないことがあったということで。何だか、頭の中で理論は分かっていて、でもどうしても見過ごせなくて、単にサポートする言い訳を探していたような....。
ただし、これで結論が出た訳ではない。これはニシャンタと外で食事をしながら話しただけのこと。私自身もまだ母親と直接話しは出来ていない。週明けに彼女に会って話しをしようということになった。(続きは次週)
部屋とヤシ蔵(コイアマット)
こうして本を読む
イスの上からの眺め
スリランカ製クッキー
近所の女の子。
お菓子とタオルを握っている。
2月12日(月 )
ディクソンエンジニア。我々にとっては、屋台作製、改造、コイア作製器製造などを請け負うところ。行ってみると、家具作製からブロック、レンガ製造まで幅広く請け負っている。とは言え、小さなところで、町工場と呼べば良いのか、家の作業場で手作業で行っているイメージ。あまり大げさな設備はなく、ボール盤1台、旋盤(不明)1台、広い作業台に万力1個。プロック製造のプレス機2台。あとは手作業。骨組みの鉄骨接合に溶接もやっているはずだが、ガス溶接だろうか。溶接機は見当たらず。ともかく本当に基本的な工具だけを使っての手工業レベル。腕が頼りの職人さんだ。こういうのは昔の日本人が得意としたんだろうけど、きっと今の日本では減りつつあるだろう。腕は良いらしく、家具の装飾、木彫りは見事だ。器用なんだろう。そんなところだから、ニシャンタの屋台改造にも応じてくれる。一つ一つ客の要望に応えて作ってくれる。今は屋台をお菓子販売用に改造。上にガラスケースを取り付けるのだ。その進捗を今回は見に来た。満足行く出来。今後の内容を確認して終了。
日本では機械加工は数値制御の機械で行うのが当たり前の世界になってしまった為、腕を売りにする職人さんは減ってきている。精密加工はセンサー性能とプログラミング、機械の精度、性能の勝負みたいなことになってしまった。いずれ腕を売りにする職人は居なくなることであろう。ある意味、技術の伝承は途絶えつつある。しかしここではまだ、自分の腕でモノを作るということが行われている。私はそれが嬉しかった。ディクソンエンジニア、是非頑張ってもらいたい。ものづくりの原点。ここで働くと楽しそうだ。屋台改造も任しとけって感じで楽しそうだったし。
昼過ぎ、ニシャンタと例のオフィスの前の家へ。はじめて母親に直接会う。実は母親は英語が話せるのではなく、私がオフィスに居るのをみて、英語が出来る人を探し、英文の手紙を書いてもらったらしい。ニシャンタが話しを聞くと、この家は借家で、家賃も払うことが出来ないという。もともと住めるような場所ではないのに家賃があるとは。中を見ると、勝手口のコンクリートの床は大きくひび割れていて、いつ数メートル下の川に落ちてもおかしくない状況。その場所で火を使って、料理をするらしいのだが、コンロなどなく、その辺のモノを燃やしているとのこと。そして、少ない材料で食べ物を作ってゴールの町(2~3kmぐらい)に歩いて売りに行ったりとか、キングココナッツを取ってきて、売ったりとか。そんなことで時々小銭が手に入るかどうか。当然、家族7人生活できるわけがなく、小さな揚げ物1個を家族で分け合って食べて、お腹がすくのですぐ寝ちゃうとか、そんな日もざらだとか。食べるモノが無い日もあるそうです。あまりにもひどい状況。長いこと待てる状態では有りません。屋台が空いたら....というのは楽観的過ぎたようです。
その場でニシャンタと私が議論。まず最初に地元ゴールの役所に登録しなくてはならない。我々が受益者を選ぶとき、地元ゴール県の役所の調査書や、ポリスレポート、津波被災者IDなどを収集し、収入などを調べ上げて、最後に、役所の災害復興課に届け出てから支援している。そこまできちんとやっているから、AMURTはゴールで一番信頼されているNGOなのだ。しかし話にならない。そんなものは待ってられない状況。今、カントリーマネージャーのマヌは長期でアフリカへ出ており不在。ここで本当に支援しようとするなら、マヌの許可は絶対に必要だ。支援はAMURT全体の予算で行うのだから。我々は一つの組織として動いている。決められたルールをきちんと守って計画的に行わなくてはならない。一時の感情で動き始めたら、この仕事、破綻してしまうのは目に見えている。例外にするのか?
そこで出した結論.....支援しよう。屋台はないが、食材を渡して商売を始めてもらおう。我々の隣人を救えずにどうするんだと。支援しないという選択肢はなくて、支援する為の言い訳を探しているだけなんだ。ここで、ルール違反を独断(ニシャンタと二人)でやろうとしていると感じた私は、それなら予算は私が調達するから、会計を全部分けてくれと話す。つまりは、AMURTとしてサポートするには時間がかかるので、我々個人で、隣人としてサポートしようと言うわけだ。それにはニシャンタも同意。これからDSオフィスに出かけるが、時間があれば帰りに買い物をすると張り切って出かけた。
ところで、よく見ると、私に手紙を持ってきた女の子の右腕が火傷でかなりの障害をもっているようだ。腕は完全には伸びないし、多分指は使えていない(数本無いかも)。片腕と言うのは、ルナの言い間違いだったが、右腕に障害が有るのは間違いない。それでもニコニコ笑顔を絶やさないのが痛々しい。
さて、私がやっていることは正しいのか?返事を後に引き延ばすことはしたくなかったし、支援する以外に考えられなかった為、このようなこととなった。この女性は私の姿を見て英文の手紙を準備し、私に渡してきた。私が判断しなくてはならなかったと思う。私がここへ来たことも何かの縁。私が支援することにしよう。いろんな意見が有ると思うが、私自身、この状況でのこの判断は間違っていないと思っている。批判は甘んじて受ける覚悟だ。続く。
改造待ち屋台。
なぜか上のテントにはUNHCRの文字。。
食品販売にはガラスケースを。
手紙の主とニシャンタ。
床で火をおこして料理している。
家の裏。右側の大きな木の陰の家。
川は深そうだ。
2月13日(火)
やっとルナのNGOビザ延長申請の本番(?)、ルナ本人が出入国管理局へ出向く。その為、ニシャンタ、ジャイシンガーと早朝からコロンボへ。私は体調不良のハリンディと留守番。午前中に銀行へ日本円の両替に行くことにする。インディカにスリーウィーラーを呼んでもらう。オフィスからゴールのバスターミナル付近まで、片道3kmぐらいだと思うのだが、往復150ルピーで交渉成立。日本人には安く感じるが、その気になればこの値段でコロンボまでバスで往復出来るのだ。もしかして、ちょっと贅沢な使い方なのか?次回はバスにしてみるか。
Bank of Ceylonへ行く。ここでもスリーウィーラーの運転手が中までついてきてくれる(逃げないように?)。あるカウンターでパスポートを提示して両替の手続きをしてもらい、現金受け取りの窓口へ。しかし窓口前には人がたくさんいる。皆並んでいるのだと思い、一番後ろに並んだら、スリーウィ−ラーの運転手が私を強引に一番先頭に誘導し、さっさと引換手続き証を係員に渡す。受け取る側も素直に受け取る。周りも何も言わない。結局、窓口周辺に群がる人達を横目に、私の両替はさっさと終了。そういうものなのか?前任者森本さんの報告で、役所で順番に割り込まれる話が出ていたが、いろんなところで“順番を守らない”というのが見られる。これもお国柄?そういえば郵便局の窓口でも係員と客が話しているのに、横から話に割り込んで自分の手続きをさせようとしたりだとか、かなり理解に苦しむことがある。これも文化?だとすると、車の追い越しもその延長?
さて、実は昨日の報告を書き終えた後、夕暮れ時にニシャンタがDSオフィスでのビザ関連業務を終えて帰ってきた。帰りが遅いと思ったら、例のオフィスの前に住む手紙をくれた女性が商売を始めるための、たくさんの食材とクッカー(燃料で加熱できるもの)、油、トレーなどを買い込んできた。これを車から降ろしていると、車が通ったのに気づいて出てきたのか、母子でこちらを伺っている。女の子はまた手を振っている。その時オフィスにいた4人総出で両手一杯の支援物資を抱えて、その家に向かった。実はその女性があまり外へ出ないのは、服を一着だけしか持っていないからだそうだ。しかもそれは寝巻きらしい。だから外へ出たくないのだ。物資を持ち込むと、これで早速商売が出来るということで、とても喜び、当然ながらとても感謝された。この笑顔を見ると、“やって良かった、我々のやってることに間違いはない”と確信した。彼女はきっとしっかりと商売を始めてくれる。これも私にとっての貴重な経験になる。私がここに来た意味が有るというものだ。
さて、その時になってその女性がいろんな話をしてくれた。彼女はシンハラ人だが、元は北東部に住んでいたとのこと。ご存知のとおり、LTTEが勢力を持っている地域だ。そして彼女の両親は、LTTEに殺害されたそうだ。それから彼女はこの地、南部の町ゴールに移り住み、小さな仕事で生計を立てていたんだとか。しかし津波で全てを失ってしまった....。過酷な人生だ。我々日本人には到底想像出来ない。言葉もない。我々に今出来るのは彼女の生計を復興させること。アムルトとして行っているプロジェクトとは離れたことをやってしまっているが、目的は同じ。被災者の生計復興。気持ちはひとつだと思っている。
商売用の食材とクッカー
(燃料で加熱できるらしい)
オイルとトレーを渡す
食材を渡すニシャンタ
同じくジャイシンガー。みな同罪。
2月14日(水)
ルナのNGO就労ビザ延長でここのところほとんど仕事が出来ず、次のビジネストレーニングクラスの受益者選考が遅れてしまっていた。最後の追い込みで朝からハバラドゥワ(ゴールの南東)へ。ここでリストに従って対象者の家を訪れるのだが、過去の報告書にも出てくるとおり、これはかなり時間がかかる。1軒ずつ住所をもとに探すのだが、正確な住宅地図が有るわけではないため、ポストオフィスで聞き込み(既に顔見知り)、近所の店で聞き込み、歩いている人に聞き込みと、本当に地味な作業だ。しかし、きっと日本の大都市とは違うんだろうなと感じるのは、その辺の家の人に話を聞いていると、近所の人がどんどん集まってきて話に参加してくる。そして、リストの名前を尋ねると、それはあっちだ、これはそこだと周りの人達のことを良く把握している。私が自身が自分の家の周りのことを知っているかと言うと、決してそんなことはなく、ほとんど分からない。日本で少なくなりつつあるご近所との付き合いがここにはまだしっかり残っていると感じる。ただし、何してるんだと言う話になり、自分達も支援が欲しいみたいな話に進展して、ニシャンタが我々のポリシーを説明する、と言うパターンが一日に何度もあった。
今日、訪問した家(候補者の家)は、38軒。住む場所はかなり固定されてきていて、家が見つけられないことは無かった。そしてこの38人中、有資格者は15人であった。様々な理由でリストから落とすことになるのだが、きつい仕事だ。今回は、ミシンと刺繍のクラスであり、その経験をもつ女性を選んでいる。例えば、ミシンで生計を立てていたが、津波でミシンそのものを破壊され、仕事が出来なくなったなど。このパターンは多く、皆壊れたミシンを今でも大事に持っており、見せてくれた。中には、テーブル部分が割れたまま斜めになっているミシンを使っていたり、壊れてしまっている部分を自分で紐で縛ったりして補修して何とか使っていたりとか。塩水に浸かってしまい、そのまま長期間放置された状態のものはサビもひどく、修理は非常に困難(ほぼ不可能)だと思う。しかし、これをいつか修理して使いたいんだと言う。こういう人達はトレーニングの効果が期待できるので、大抵資格が与えられる。しかし中には、息子が服飾業の経験があるので息子に仕事をさせようとして母親の名前で申し込んでいたり、記述に不正なところが見つかることもある。この場合は、お断りするしかない。中には、とても立派な家に住んでいたり....。だからこそ必ず自分達の目で確認しなくてはならないのだ。でないと、本当に必要なところに支援を届けるという基本的なことが出来ない。ニシャンタは、ここまでやっているNGOはこの地区には少ない(無い?)と言う。これをサボっていては効率の低い支援になってしまうのに。実効率みたいなのを各NGOで比較したら面白いのに。
この作業、本当に地味で時間のかかる辛い作業なのだが、ニシャンタはこれをとても重要なことと考えている。これをやるからこそニシャンタは全ての受益者の名前と家、生活の背景までも把握しているのだ。ただし、全てはニシャンタの頭の中だけに有り、いつもニシャンタ頼りになってしまうのが少々問題だが。
さて、歩き回る中で、ある候補者の親戚の男性が私に話しかけてきた。最初何と言っているのか分からなかったのだが、実は日本語を話していた。聞けば10年ほど日本で働いていたらしい。もう20年ちかく昔らしいが。それでも十分に会話は出来た。彼の住む付近には津波は3度来たと言う。一度目は増水する程度、その後、逆に水が引き、海岸線が1kmほど下がってしまったそうである。魚も大量に打ち上げられ、異様な光景。ここで近所の男性達が干上がった海を見に行ってしまったそうだ。そこへ2回目の津波。これは高さがかなり高かったらしく、この為に見に行った人達が亡くなったそうだ。この男性の近所の1km範囲ぐらいで4~50人。男性は、日本に居たときに津波と言うものを知ったらしく、見に行かずに逃げて助かったそうだ。彼の家は海岸から歩いてすぐのところであるが、増水の程度は大人の胸の高さくらい。見に行かなければ、命に関わることはなかっただろうという。今はもう皆、津波の怖さを知っているので、何か有れば必ず逃げると言う。
今回、見て回った地区は井戸が非常に多かった。水汲みをする姿があちこちに見られた。あきらかに井戸だけがしっかりした作りなので何らかの支援で作られたように見える。中には共同の水汲み場で、女性が洗濯しつつ、水浴びをしているところもあった。もちろん服のままである。洗濯は、洗剤を使って手洗い。大きな石に叩きつけるようにして洗っていた。かなりの重労働であろうが、なんだかのんびりとした光景であった。ただし、まだ壊れた家を自分で補修しただけの状態で暮らしている人や、明らかに衛生状態の悪い状況も散見される。また、平日の昼と言うのに、何もせずに家にいる男性も非常にたくさん見かける。これは職がないからだろうか。地域社会全体の生活改善、生計復興はまだまだ遠い道程のように感じた。特に雇用の創出が重要ではないだろうか。支援が届いてない地域はまだ広い。
ひたすら捜し歩く。横は津波の傷跡
かならず皆集まってくる。
壊れているが大事に保管されているミシン
2月15日(木)
午前中、CHAミーティングに出席。AMURTとして前回出席できてないため、詳細がわからないままの出席になってしまった。しかも直前で会議が知らされた為、他の会議と重なり、DS側にニシャンタ、こちらに私が出席した。第2回目らしいが、具体的な話が全く進まない。お互いの情報交換が必要だという当たり前の話をとうとうと続けて、それをどうやっていくか、いきなり端から順番に現状報告でもするかというような雰囲気。これ、2回目なの?と言いたくなるような感じ。結局、主催者側でフォーマットを作って、展開したほうが良いと思われる情報はそれをベースに作成し、会議の前に提出、それに従って案内を発行し....。と言うような話。私は途中から参加したので全てを把握はしてないが、皆あちこちから集まってトータル2時間の会議である。事前に準備をして、目的などもはっきりさせて、今日時点での結論もしっかり出して欲しいなと思う。しかし会議の進行も、みなの顔色を伺いながらという感じだし、公的な機関の出席者は無かったし(案内しているが欠席らしい)、時間がもったいないと感じる内容だった。もちろんそんなことはきっと皆分かっているのであろう。複数の国にまたがる様々なNGOが集まる場で、効率よく会議を行うのはとても難しいということなんであろう。こういう場が有るだけでも非常に意義の有ることなのかも。
午後は引き続き、受益者選び(候補者の確認)を行う、主にゴールフォーグラベッツを回る。ゴールのメインロードから少し離れたところを、いつもの様にひたすら人を探して回る。ニシャンタが言うには、メインロード周辺はいろんなNGOが支援しているが、少し中に入ってしまうと、支援が届いていないそうだ。そういうところも力を入れなくてはと話しながら、ひたすら探し歩く。途中、チャイナガーデン付近に来たときに、ついでにミシンのトレーニング修了者のところを訪れた。彼女はグループで最も優秀だったそうで、当然グループリーダーである。家の中に入ると、まず服がひとつひとつ袋に入れてハンガーに掛けてある。ここは通りに面していて車が走るとホコリが舞うから服が汚れないようにとのこと。ここが店も兼ねているのだ。その奥にミシンが2台並んでいる。1台は、最初のトレーニング時に与えられたもの。もう1台はその後のビジネスの状況が上向きなのでさらにアムルトから別のタイプのミシンを支援したとのこと。それからさらに自分で貯金をして、ボタンプレス機とでも呼べばいいのか、布で覆われたボタンをプレスする機械を購入していた。確実に生計が上向きになっている証拠。ビジネストレーニングで得た知識も効果があったのだろう。これはビジネスアシスタンスが非常に良い方向で働いている例だと思う。
探し回る途中、フリートレードセンターへと続く通り沿いの道端に座り込んで商売をする女性の前に停まった。彼女はニシャンタの顔を見ると嬉しそうに笑顔を見せた。彼女は屋台の受益者になれなかったのだが、ニシャンタが非常に気にしており、機会があれば屋台を与えたいと思っているらしい。今日は様子を見に寄ったのだと言う。ニシャンタは、自分の受益者やその候補者がどこで何しているかを良く覚えていて(全部自分で回って話しを聞くから当然なのだが)、何かのついでに必ず声を掛ける。これが受益者とのつながりを深い一つの要因であろう。この信頼関係が、後々までに良い影響を与えると思う。彼女は我々にピーナッツを少しずつくれたが、私はニシャンタが見込んだ人ならと思い、少々買い物。オフィスへのお土産とする(結局ニシャンタが食べたが)。
優秀な受益者に支援された
2代目のミシン
道端で商売をする女性。
屋台を待っている。
2月16日(金)
今日は休日、公的機関は休みの日。それに合わせて、HELP INNと言うイベントが行われた。これは社会福祉関連の副大臣(そのままの訳)により開催されたもので、タウンホールを使った社会福祉の一大イベント。私とニシャンタも朝から出かけた。タウンホールは開催前からたくさんの人が集まり、歩くのも大変な状況。皆が待ち受ける中、大臣が到着し入場。皆から盛大な歓迎を受ける。入場後、我々も招待を受けているので、大臣の後をついて進み、皆と向かい合う来賓側の席に着席。大臣には、前日、次回のトレーニングの受益者名簿を提出する際に挨拶しており、顔を覚えていただいていたので、会場で軽く挨拶。しかし、こんなにすごい人だったとは。そもそもイベントもこの大臣の名前入りだし。
式典は、大臣や来賓の挨拶が長々と続くのだが、何だかみな騒々しく、本当に聴いているのかなと疑いたくなるような状況。これも国民性か。各挨拶の後、子供達一人ずつに大臣からバッグと本が手渡される。これがまた永遠と続くので、我々は抜け出してタウンホールのメイン会場へ。ここでは、無料での健康相談や薬の配布。津波でIDを無くした人のためのID即日発行。役所の相談コーナーなど(町、村レベルの単位での役所の方々は総出)。貧しい人達を救う為の様々な試みが一斉に行われていた。非常に素晴らしいイベント。大変よい企画だ。しかも朝から晩まで満員に近い状態だった、でも、よく考えるとこのイベントを必要とする人がこんなにもたくさんいるのかと驚かされる。まだまだ復興途中なのか。でも、こういうケアがいろいろと考えられているのは、津波の経験が有るからこそ。この経験で社会福祉に強い国となることを願う。なお、この会場でもニシャンタはあちこちに知り合いがおり、役所関係はもとより、支援を求めている人からも声をかけられる。すっかり有名人だ。
午後、この日も続いて外回り。暑い中、本当に大変な仕事だ。今回は、ミシンと刺繍の経験者を選ぶことは前述の通り。我々は、訪れた家で、ポリスレポート(津波被災状況を公的に示す書類)を見せてもらい、被害状況を確認。また実力を確認するため、持っている道具や実際の製品なども確認する。それらを踏まえて最終的に受益者としてふさわしいかを判断する。中には、ミシンの経験があるものの、津波でミシンを失ってからは他のビジネスをはじめようとしており、ミシンのトレーニングよりも現金そのものの貸し出しを望む人もいた。その場合には、他のマイクロクレジットを行っているところ、関連する役所などの情報を与えて、他団体に任せる。あくまでも我々の意図する人を探しての活動だ。ともすれば全ての人を救いたくなるのだが、我々のやれる中での判断、基本的に我々の基準を守ることが必要。時に冷徹な心というか、熱い心がありながらもクールな判断が必要だと私は思っている。ただしそれは全て、我々の支援が有効に働くことを願ってのことである。
HELP INN会場。
オープニング式典。大臣の挨拶。
津波で失くしたIDの再発行に並ぶ人達。
自慢のレース製品を見せてくれる受益者候補。
2月17日(土)
またこの日も外回り。トレーニング開催は来週に決定したので、最後の追い込みである。(こんな直前でいいのかと不安に思うが。)ヒッカドゥワ、ギントタを回る。ゴールロードから少しだけ内陸に入るのだが、道が細くて曲がりくねっており、目的の家を見つけるのは非常に大変。人を見つけては道を尋ねるのだが、車を降りようものなら、そこら中から人が集まってくる。10人ぐらいはあっという間。気がつくと20人ぐらいに囲まれることも。関係無い人たちまで何事かと寄ってきて話を聞いている。そのかわり皆で答えてくれるので、それなりに助かるのだが。そんな時もやはり私は珍しいのか、皆からじろじろと見られる。こちらが会釈すると相手も返してくれるので、悪い気はしないが。
そんな中、まだ修復中の家を訪れたときのこと。候補者にアプリケーションシートの説明をしている途中で、修復中の窓枠が倒れて落ちてきて、私をかすめて、ご主人の頭にヒットした。かなり大型だったので、相当痛そうだった(出血したんじゃないかと思うのだが)。私自身、かなり危険だった。修復するお金も足りなくて、あちこち壊れそうなまま暮らしているわけで、安全に暮らすためにも、生計復興が必要だと感じた。
午後、ゴール地区のレースの店を訪れた。もちろん受益者の候補者探しである。この店の女性は、非常にすばらしい腕を持っており、中に入るとこれまでに獲得したたくさんの賞が飾られていた。以前からしっかりと商売をしていたのだが、津波で15台のミシンが全損。数少ない残りのミシンを何とか修復して、ほそぼそとビジネスを再開したそうだ。ただし、腕は確かなので、向上は間違いない。そこで働く若い女性を今回のトレーニングに採用した。彼女は、その店のレース製品の展示会で名古屋市に来たことが有るそうだ。国内で賞だけでなく、海外の賞も多数獲得している女性の店であるから、そのような機会にも恵まれているのであろう。ちなみに、ニシャンタが言うには、機械によるレース製品より、腕の良い人が手作業で作ったレースの方が品質が良いらしい。受益者候補の女性と話をしている時に、もう一人、そこで働く若い女性で我々のリストに無い人を紹介された。彼女は両親をなくし、今は一人で暮らしているこのこと。彼女の話も詳しく聞いたところ、我々のトレーニングにふさわしいと考えられた。また彼女もそれを望んだ為、その場で採用決定。次週のトレーニングの受講者となった。クールな判断と言いつつも状況に応じて本当に必要な人に届く支援を。
ところで、ニシャンタが聞き取りをしている相手が実は候補者じゃなくその母親で、その横で恥ずかしそうに話しを聞いている若い女性が候補者だったと言うのが多々あった。時には父親がメインで話すことも有る。若い女性は恥ずかしがりやが多いのか、中々自分1人で応対することは少ないようだ。昔は未婚の女性が1人で活動することは非常に少なく、かならず複数だったり、家族が付いたりしたと言うのを何かで読んだことがあるが、それのなごりなのか。まあニシャンタと私が突然家に来て、いろいろ質問すると言うのは結構プレッシャーの有ることなのかも知れないが。小さな女の子は、私を見ると珍しいのか寄ってきたりとか、笑顔を見せてくれるが、少し大きくなると、大抵は隠れて遠くから覗いている。これもスリランカの女性事情か。ただ、次回トレーニング会場のお寺に行った時に、女性数十人が授業を受けている横を通ったときは、皆一斉に私に注目してこっちが何だか恥ずかしかったが。数集まると、強くなるのかな。
暑い中の候補者探し。時には子供の案内も。
レース店。手作業でレースを編む。
レース店の受賞の数々。
この店から2人トレーニングへ。
中央右の指をくわえている方が候補者。
あまり喋らない。
2月18日(日)
休日。暑い。数日前からクリケットのインド対スリランカ戦が行われており、大変盛り上がっている。外回りをしていてもTVの有る家では必ず見ている。ただし映りは非常に悪いが。オフィスでもジャイシンガーがやインディカが楽しみにしているみたいだ。私にはルールがさっぱり解らないが。こちらでは大変人気の有るスポーツだ。
ここで、次週月曜から行われるトレーニングについて。コースは、刺繍とミシン。地域に分けて2組で行う。津波被災者であることはもちろんのこと、今回は、ミシンや刺繍の経験者を対象としている。トレーニングも1日8時間を3日間。過去のトレーニングと少々違う。内容も高度なものを狙っている。その候補者をどう選ぶか。まず事前にこの地区の役所の復興支援の課に、我々の計画を説明する。ミシンと刺繍のマイクロビジネストレーニングを計画していると説明するわけだ。すると役所側はそれを了承し、この地区での該当者、ミシンや刺繍の経験者のリストを提出してくれる。それを元に我々が全員、現状を確認してまわり、真の受益者にふさわしい人を選ぶ。なお、対象者のリストは地区の社会福祉の役所に全て登録する。我々の活動は全て、地区の役所と連携しつつ行っている。そして、我々の受益者選びの活動も全て役所に理解してもらっているからこそ、役所からも信頼されており、我々の活動も非常にやりやすいのである。
写真はギントタの海岸沿い。海の中の岩場に小さな仏像が設置されている。この地区は完全に破壊された地域。ところが、仏像とその小さな建物は無傷で残ったそうだ。これ以外にも、海に設けられた仏像が無傷だった例がある。地形から考えて有りうるのだが、熱心な仏教徒の多いこの国では、人々の信仰心に力を与えている。
ギントタの海、津波を耐えた仏像。
ゴールタウンで見かけた屋台。
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