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現地報告レポート

第1回(2007年1月12日〜1月19日)
第2回(2007年1月20日〜1月26日)
第3回(2007年1月27日〜2月2日)
第4回(2007年2月3日〜2月9日)
第5回(2007年2月10日〜2月18日)
第6回(2007年2月19日〜2月25日)
第7回(2007年2月26日〜3月7日)

第6回(2月19日〜2月25日)

2月19日(月)
今日からマイクロビジネストレーニングが実施される。場所は、タウンホール横のお寺を借りている。皆が集まるには便利なところ。オフィスのミシンやテキストなどを積み込んで現地へ。もう既にかなりの人数が集まって、講師の話を聞いている。その間に、我々で教室を整える。写真のように、コンクリートむき出しで、窓はなく開放されており、砂や埃もひどい。簡単に掃除して、机と椅子を並べる。どちらも木で作られたものだが、かなり古くてところどころ割れていたり、ぐらぐらと揺れたり、あまり良い設備ではない。「5人座れば動かないから大丈夫!」なんて、そんな.....。

最初はミシンと刺繍の受講者全員が揃っている。皆表情が硬い。そこでニシャンタが話を始める。このトレーニングの意義を語ったりしているようだ。ここで顔ぶれをみると、私自身受益者選考に同行していたので、当然ながら皆見たことの有る顔ばかりである。それぞれの家や被害状況、実際の製品などが思い出される。名前だけは難しくて頭に入らなかったが、受益者側もニシャンタに動向していた怪しげな日本人として覚えてくれているようだ。このつながりもまた大切なのだろうと思う。私自身、それぞれの人への思い入れが有るし、自ずと力も入る。

今日は一通りの説明の後、刺繍のクラスは解散。明朝9時からトレーニング開始。ミシンのクラスは実力テストを行う。これでそれぞれの能力を確認する。テストは簡単で、ミシンに糸を通し、小さな布を2~3往復縫ってもらうだけ、使うミシンは足踏み式だ。今回、経験者を採用しているのだが、ここで既に大きく差が出た。本当に腕のよい人は作業に迷いが無く、スムーズで早い。いつものように体が動くと言う感じだ。見ていて安心できる。しかし中には、どこに糸を通していいのか判らず、講師に質問する人も居た。明らかに不安げに作業しているので、実力が劣ることは私が見ても判る。全くの素人ではないようだが。

ちなみに、皆が終了してニシャンタのチェックを受けている途中に、空いたミシンで私がみんなの前で挑戦した。糸を通すところは分かっていたのでスムーズに通し、針に糸を通すのも一発で成功。しっかり縫って見せた。それを見たニシャンタが、笑いながらアシスタンスOKをくれた。これは結構、受益者にウケた。私の母は若い頃から、本格的に裁縫が出来た。洋裁学校に行って学んだと聞いた。家にはミシンを2台持っていてよく仕事していた。私が生まれる前は多分、足踏み式のミシンを使っていたと思う。小さな頃に家で足踏み式ミシンを見たことが有る。洋裁学校に行ったのは多分昭和30年代だと思うが、もしかしてこんな感じで習ったのかな~と思った。この国は今、昔日本が辿ってきた道を着いてこようとしているのかな。そういえば、いろんなところで昔の日本はこうだったのかな~と何だか、タイムスリップして昔の日本にいるような、そんな気がしないでもない。何だか不思議な居心地の良さはそういうところに有るのかな?今後、日本やその他の国の技術を吸収しつつも、もっと良い方向へ進んでくれることを望みます。

授業中、犬や猫が通ったり、子供が泣いて母親のところに来たり、ニシャンタが話をしてる途中に母乳を与えてたり....何だか、のどかな一日だった。

お寺の教室を使う 黒板は使えなさそう 木の机と椅子を並べて準備 ニシャンタの挨拶
   
初日。表情が硬い テキストが配られ、
トレーニング開始
   


2月20日(火)
この日から本格的にトレーニングが開始。午前9時~午後1時が刺繍。午後1時~5時がミシン(刺繍もミシンを使うので、今後、裁縫とします)。スタッフも交代で食事を取るなど、結構忙しい状況が始まる。トレーニングの行われるお寺の教室には、早くから生徒達が集まってきており、皆やる気満々だ。こちらも何だか力が入ってくる。昨日来てくれた講師が指に怪我をしたらしく来られなくなり、急遽、その講師の先生だった人が代わりに来てくれた。昨日の人は少々口数が少なかったが、今日の人はいろいろと話をしながら進めてくれるようで、まあこれなら我々にとっても問題無いところ。

ミシンは、オフィスで保管していたものを使っているが、初日はトラブルも多発する。ネジが外れなかったり、フタが取れてはまらなくなったり、ベルトが緩くてうまく回転しなかったり。

生徒が一生懸命修理しようとするが手際が悪く、度々授業が止まってしまう。こんなところで時間を無駄にしても困るので、私が手直しをする。工具はアムルト号の車載工具だけ。それでも何とかなるもんだ。でも、あちこち手直しして回っているうちに、ハード面で困ったら私を呼びに来るようになってしまった。SINGER(ミシン製造元)のエンジニアと思われたか?

一人の生徒が1時間近く遅れてきた。ハバラドゥワの女性。今回のクラスの中では家がかなり遠い方だ。朝だと1時間以上かかるかも(と言うのが分かるのも、ニシャンタと一緒に全家庭を回ったおかげ)。既に講師の説明が終わって実習に入っているところだった。そこへ入ってきて何をしていいか分からず困っている様子。声をかけたいが、言葉が通じるかなと迷っていたら、隣の女性が作業に誘ってあげていた。年齢はバラバラなんだけど、結構みんな仲良し。何とか無事作業を始めることが出来た。この女性、結局、皆が帰った後も最後まで残って一人実習を一生懸命やっていた。一時はどうなることかと思ったが、しっかりやっていたので安心。(長いスカートはいて、真っ赤なバイクの後ろに乗せてもらって遅刻して登場した時には、ドラマみたいで笑ったが)

前半刺繍組実習初日の終わり、一人の生徒が私に自分の作ったものを見せてくれた。もちろんまだまだ下手なんだが、「Happy、Practice、Home!」と本当に嬉しそうに話してくれた。本当に嬉しいんだなあと気持ちがよく伝わったので、私もとても嬉しかった。人がこんなに嬉しそうにしてるのを見ることって、なかなか無いことだとしみじみ。

後半組はミシンによる洋裁。午後1時から3時までが実習、3時から5時までが会計などビジネスの基礎知識の講義。ここで私は一度オフィスに戻り食事。またすぐに教室に戻る。30分位抜けただけだが、もう既に皆実習に入っている。一クラス30人近くいるのだが、ミシンが4台しかない為、少々順番待ちの時間もある。しかし、皆他人の作業を見て上手い人の技術を学んだり、まだ未熟な人にはアドバイスしたり、講師だけでなく皆でレベルアップをしようとする姿勢が見られ、非常に活気に満ちた雰囲気。見ていてとても面白い。

しかし、ここでトラブル発生。3時になってもビジネス理論の講師が来ない。連絡も取れない。私が何か喋ろうにも、テキストはシンハラ語。黒板はボロボロで使えないし(黒板は欲しい!)、結局ニシャンタ頼り。急遽ニシャンタを電話で呼び出して来てもらった。そこでニシャンタ、どうするかと思ったら、自分で講義を始めた。時間つぶしかと思ったら、そのまま5時まで。これがどうして上手いもので、適度に皆の笑いを誘いつつ(ニシャンタのことなので、冗談抜きでの話は有り得ない)、締めるところはきっちり締めて無事に終えた。一時はどうなることかと思ったが、一安心。楽しい一日だった。また明日が楽しみ。

刺繍、先生のお手本。 お互いにチェックしあう。 Happy,Practice,Home.
 
ニシャンタ先生、笑いを誘う。 皆、真剣な表情。  


2月21日(水)
今日から無茶なことに、レース(レースを編む)クラスも始める。午前中は、レースのクラスと刺繍のクラスを同じ教室で半分に分けて行う。見る方も大変だ。

レースの講師は、ゴールの有名なレース店の人で、レース製品の腕は良く、国内外でいろんな賞を取っている人だ。その店は先週(2月17日報告)訪れていて、そこの若い女性2人は今、午後の洋裁のクラスに入っている。その店を訪れた時は、講師をするとは聞いてなかったので、今日教室で会って驚いた。もちろんお互い覚えているのでしっかり握手。津波で全てを無くすまでは、数十人を指導して店を切り盛りしていた人だ。腕も素晴らしいし、この人なら安心だ。今回のレースのクラスも有る程度の経験を持った人を選んでいる。より高度な技術を身に付けてもらおうということだ。このような場で惜しげもなく自分の技術を伝える彼女は立派な人だと思う。実は、東南アジアから日本に技術を学びに来て、企業などで働き、自国へ戻ってからは自分の知識は自分だけのものとして決して人には教えず、自分だけが高給をとろうとする.....と言うのを残念ながらたまに耳にする。優秀な現地人に日本で技術を学んでもらって、現地に帰って現地人同士で技術レベル向上を図ってもらおうとしてもなかなか難しいこともあるのだ。でも、そんなことはここでは関係ない。講師はみな自分の知識を伝授しようと必死だし、皆それぞれにお互いのことを見ながら指摘しあい、一緒に成長していこうとする姿が見られる。こうあって欲しいよなあと、私自身過去の経験からしみじみと感じる。こんな皆を見ていられるのがとても幸せ。私に出来ることはミシンの修理ぐらいしかないんだけど、何時でも呼んでくださいね~という感じだ。

さて、カメラを持って一日中クラスを監視しているのは私一人だ。前述のとおり、二つのクラスを同じ教室でやっているので、私はどちらも見に行かないといけない。レースの実習を見ていると、後ろから刺繍のクラスの生徒が覗きに来ていた。やはり気になるようである。これも覚えてみたいんだよね~と楽しそうに話してくれた。もちろん誰も止めはしない。それどころか、レースの先生は、ミシンの腕も相当なものなので、時々刺繍のクラスを見に来てミシンの使い方などいろいろ指導してあげていた。レースのクラスの生徒も時々、刺繍を覗きに来ていた。

ただ、残念なのが、レースのクラスの生徒選びには、私は同行していない。講師以外は、この場で初めて顔を合わせる。だから皆、私を見ると少々緊張しているようだ。私自身、顔を覚えていないので、中々対応が難しい。刺繍や洋裁のクラスはほとんど全員、私が家に来たことを覚えているので、行き帰りも一人一人挨拶するし、気軽に声を掛けてくれる。やはり、ニシャンタ(アムルト)が行っている「必ず家に行って話を聞く」ということは、こんなちょっとしたことでも効果が現れる。こういう面でもとても大事なことなのだ。

一人一人、家を訪ねて状況を聞き、こうしてトレーニングクラスで再開して、また毎日ずっと一緒にいて努力してる姿を見ていると、すごく感情移入してしまう。みんな上手くなれよ~とかだけでなく、本当に皆さん幸せになってほしいと思う。ほんの数日だけのことだけど、最終日には泣いちゃうかも知れんな。こりゃ。(それは少々おおげさ)

今日からAMURTの名が
掲げられた。
レース作製中。 素早い手の動きだ。
講師の丁寧な指導。 真ん中で笑っているのは
刺繍の生徒。
今日もニシャンタ先生。


2月22日(木)
今日は、午後から「難民を助ける会(AAR)」の野際さんにAMURTのサイトに来ていただいた。久しぶりに日本人に会う。待ち合わせ場所まで向かえに行き、我々のサイトへ行く途中にAMURTの屋台を見て頂く。屋台は、ゴールのバスターミナル付近に行けば幾らでも店を出しているので、ゆっくり走りながら社内から見て頂いた。その後、ビジネストレーニングを行っている寺へ。トレーニングの講義風景を少しだけ見て頂いた。そこで、その日の講義を切り上げ、ニシャンタ、ハリンディも同行して我々の昨年のプロジェクト、仮設シェルターへと向かった。シェルターは、今はもう既にほとんどが取り壊されているが跡地はまだ残っているので、その場でシェルターについてニシャンタが説明した。詳細は過去の報告書に有るので省略。この土地は政府のものであり、取り壊し後は、公的な用途に使われることになる。

仮設シェルターの横は、他のNGO、CARITAS SEDによる恒久住宅が建てられており、我々の仮設シェルターからも一部がそこへ移動している。今日は、AMURTシェルターから引越しした家族に住宅内を見せてもらった。この住宅はスリランカ政府も作製に協力し、設計にも力を入れているようでなかなか出来がよかった。2階建てになっていて、居間から2階への階段が吹き抜け構造のようになっており、広々とした印象を与えてくれる。2階にはベランダもあり快適。水道、電気はもちろんのこと、キッチンも使いやすそうで、恒久住宅として申し分ないであろう。皆、特に不満はなさそうだ。その後、中国赤十字の建てた恒久住宅に移動。こちらにもAMURTシェルターから移動した住民が住んでいる。こちらの住宅については、中国政府の指導の下に作られたらしいのだが、残念ながら先ほどのCARITAS SEDに比べると、少々劣っていると感じる。窓が不十分に感じられたり、通気孔の配置が悪く、雨水が浸入しそうだったり、キッチンで火を使えないらしく、外で料理をしていたり....。あまりきちんと見ることが出来なかったが、少々難有りの印象。その辺りも、野際さんに見て頂いた。今回、あまり時間が取れなかったため、見た頂くのはこれまでとして、AARさんのサイトまでお送りすることにした。

AARさんのサイト、恒久住宅建設地は、ハバラドゥワ地区アタニキタ(と読みたいが現地で通じない?)で、ゴールロード(ゴール~マータラ間)から内陸へ少々入ったところ。大きく、切り開いて整地されており、周りに住宅がならんでいる。真ん中に広いスペースがあり、今はバレーボールのコートとブランコ、シーソーなどが有った。この地で、日本のAARさんとGREEN MOVEMENT OF SRILANKAが協力して、このプロジェクトを行っているとのこと。お送りしただけで一目見ただけの印象だが、広々としていて住みやすそうな感じであった。野際さん、今日はホテルを引き払って、自分達が建てているこの住宅に泊まってみるとのこと。それなんですよね。何事もまず自分でやってみなくては!少々体調崩されていたようですが、その心意気、非常に頼もしく思いました。

余談だが、オフィスに戻った後、アムルトのシェルターについてニシャンタと話していると、妙に詳しい。材料だけでなく、各部材の寸法まで正確に覚えている。何故か聞いてみると実はニシャンタが設計したそうである。なかなか良いものを作ったもんだ。どうもそういう方面・科目の学位(スリランカの学位などがあまり理解出来なかったので不正確)も持っている様子。また、ニシャンタの住む家の周辺の家は壊滅的なダメージを受けたのであるが、その後、ニシャンタが設計したのだそうだ。しかも、政府が立てようとした家は高価だった為、反発して無料で立てたと言う。だから、ニシャンタの近所のどの家でも、「この家は誰が建てたの?」と聞くと、ニシャンタと答えるのだ。驚いた。本当にこの職業が向いている男だ。

AMURTシェルターの跡。 シェルター跡地横のCARITAS SED
の住宅。
CARITAS SED住宅の中。
 
中国赤十字住宅。野際さんと
ニシャンタ、ハリンディ。
AAR活動中のサイト、恒久住宅。  


2月23日(金)
朝9時からトレーニング開始なのだが、とにかく誰よりも先に連れて行ってくれとお願いし、寺に一番乗り。まず、掃除から始まり、机を並べて、ミシンを寺の保管場所から運んでくる。いつも朝早い人は決まっており、掃除やミシンの運搬を手伝ってくれる人も決まっている。そういう人達は、クラスの中でも特に頑張っているのが感じられて、より応援したくなる。準備が終わったころを狙ってきてる人もいるんだよと生徒の一人が話してくれた。私は会場の設置ぐらいしか出来ないので、いつも見ている日本人も、何かしら働いているなあと思ってもらえればそれでいい。信頼してもらわなくては。

今日で、レースと刺繍のクラスは終わりだ。この2つは同時に行われているのは報告したとおり。まず、レースの方だが、こちらはかなりの経験者が集まっており、かなり上手い人もいる。お互いにこの場でレースの作製を行って意見を交換したり、講師のアドバイスを受けたりというような、技術交流会のような雰囲気だ。改まってテーマに沿って講習が行われているわけではないようだ。このレース作製。回転する円筒型の台にピンを刺し(ピンの位置を書いた紙を台に貼っている)、そのピンに糸を掛けつつ、編んでいくイメージ。数十本の糸を巧みに操作しながら、順番に編んでいく。言葉で説明するのが難しいが、実際の操作も難しく、上級者が作業すると手の動きがあまりにも早い為、どうやっているのかよく分からない。話をしたり、よそ見をしながらでも編んでしまうので、相当体に染み付いているのだろう。彼女らは、レースの販売促進をとても望んでおり、私に是非日本で展示会を開いてくれとお願いされた。私にはそんなことどうすれば良いのか簡単には分からないが、こういう生の声を聞いた以上、何か動かなくてはならないだろうと責任を感じている。講師の方と数人の生徒からは、店の案内や製品を頂いた。これは単なる記念ではなくて、是非日本に伝えて欲しいということなのだろう。

一方、刺繍のクラス。こちらも最終日、実習の4日目に入り、上達してきているのが分かる。足踏み式のミシンを踏みながら、つまり足でコントロールしながら、いかに手を狙ったデザイン通りに動かせるか。手と足の動きをばらばらに、しかし思い通りに動かすことが出来なくてはならない。これはもう練習しかない。うまく動かせるようになれば、今回教えてもらったいろんなアレンジ方法も使いこなせるようになり、デザインの幅も広がるのだと思う。さて、生徒達であるが、家で練習を積んでいるらしく、明らかに前日とはミシンの動きが違う。数人の生徒は、私に昨日家で作ったんだよと言って製品を見せてくれる。初日に見せてくれたものは、やっと刺繍が出来るようになったね~と言うレベルだったが、4日目ともなると、そこそこに細かい動きが出来るようになっており、上達が見られる。この調子で練習を積めば、きっと売れる物を作れるようになるだろう。4日間頑張ってきた人達だからきっとそうなる日も遠くないはずだ。

ある50代後半の生徒。彼女は刺繍のクラスであるが、レースと洋裁はかなりやれる。家を訪れたときに製品を見せてもらった。でもここでまたさらに新しいことに取り組もうと、一生懸命メモを取っている姿には頭が下がる思いだ。私もまだまだ頑張らねば。

さて、1人の生徒が昨日から休んでいる。今日来なければもうクラスは終わりだ。結構しっかりやっていたのに、講義の内容が気に入らなかったのかなと残念に思っていた。前回までのトレーニングの出席表を見ると、ほぼ100%の出席率だったので欠席者が出たことがちょっとショックだった。しかし後で聞いたところでは父親が亡くなったそうで、それで来られなかったとのこと。きっと本人は続けたかったはずなのに、よりによってこんな時にそういうことになろうとは。非常に残念だ。数日たったら家に行ってみようかとニシャンタと話をした。このまま終わってしまっては非常にもったいない。

午後は、ミシンでの裁縫のクラス。私はオフィスに戻るのがもったいないと言って、戻らずに食事を持ってきてもらうことにする。

洋裁のクラスは、前半は実技だ。今日は上に着るもの(下手な表現)を作っている様子で、生徒一人ずつ採寸を行い、各自の寸法で作らせているようだ。前のホワイトボードに各部の寸法の決め方が書かれており、みな一生懸命メモを取っている。いろんな本やテキストが手に入らないこの地方では、こうしてメモしたものだけが頼りになってしまうのかも知れない。改めて、アムルトジャパンのHP上で行っているデザインブック収集の必要性を感じた。これがないと、どうやって今後、この生徒達が自分達の能力を高めていくことが出来るのだろう。自らの試行錯誤?余裕の有る人達ならそれも良いかも知れないが....。

後半の講義。今日はやっと本当の講師が来てくれた。いろんなところでこの手の講義を行っているらしく、経験豊富で信頼出来る人だと言う。ニシャンタが選んだそうだ。何でも、突然お願いして受けて貰ったらしい。確かに、講義を見ているとなかなか面白そうだ。皆一生懸命聞いている。もしかして、眠そうな人が出てきたら起こしてあげなきゃダメかな~などと考えていたのだが、そんなのは私の思い過ごしで、皆時間まできっちりと話を聞いていた。ちなみに、教室の机と椅子の数にはあまり余裕がなかったのだが、みんな前へ行こうとして、お互いの肩が触れ合わんばかりに詰めて座っている。そのため、一番後ろが空いている。これは国民性の違いなのか、単にやる気の有る人の集まりなのか、日本とは大きく違うと感じた。

この日、結局、昼食を取る10分間以外、朝8時過ぎから夕方5時過ぎまでずっと立ってクラスを見ていた。数人の生徒から「あんた座らないねえ。」と笑われた。その後、外回りでオフィス帰着は夜9時。食後すぐに寝てしまった。(だから土曜に書いている)

レースのクラス。技の競演? 刺繍のクラス。皆真剣。 講師の作品を見る。
一生懸命メモを取る。 洋裁のクラス。実習。 こちらも皆真剣。


2月24日(土)
この日は洋裁のクラスの講義の最終日。朝8時から行われる為、7時に出発。ニシャンタを迎えに行く。普段からよくここへは来るのだが、近所の家をニシャンタが作ったと教えられてからは初めて。なかなか良く出来た家だ。この地区ではニシャンタは有名人らしい。津波の時、ニシャンタはコロンボに居たことは書いたと思うが、そこで連絡を受け、内陸を通って何とか半日で帰りついたらしい。しかし付近は死体の山。それから毎日、死体の回収、病院への搬送に明け暮れたそうだ。付近一帯は悪臭で全く食事は喉を通らず、ただ水だけを飲んでの作業だったという。そしてニシャンタが最後の死体を回収したのは9日後。車の下敷きになっていた女性で、既に骨となっていたそうだ。ただし、ニシャンタの住む地区が9日間で死体を回収したというだけで、その他の地区はもっと遥かに長い時間がかかっている。

さて、クラスの話。今日は朝早くから行われる為、きちんと集合出来るのか心配だった。中には家が遠く、下手すると1時間半くらいかかるんじゃないかと思われるところも有る。しかし、7時半くらいからポツポツといつものメンバーが集まってくる。やはり早く来る顔ぶれは同じだ。時間にルーズなこの国で貴重な存在であるし、そのやる気はこちらも嬉しい。

結局先生も遅れて、8時半ぐらいに集合。最後の講義が始まった。今日は会計がらみで少々計算なども織り交ぜており、皆真剣な様子。ノートなどが豊富に有るわけではないのでちょっとした紙切れに書いたり、中には手に書いて計算したりしている。筆記用具は皆、アムルトが今回テキストと共に支給したボールペンを使っているようだ。そう言えば、私がこの1ヶ月半で接触した人達は筆記用具やノートなどをたくさん持っているわけではなく、鉛筆1本探すのに苦労したり、古いノートの切れ端をメモに使っていたりというのが当たり前の状態だ。シャープペンシルなど、見たことがない。そんなの渡そうものなら、芯がなくて困ると思う。私は何でも紙に書いて図や絵で説明するのが好きで、その方が頭が整理されると思っており皆にもそれを薦めたいのだが、いつもためらわれる。何とかならないものか。授業ではさすがに何も書かずにはやれないので、オフィスで眠っているホワイトボードを持ち込んだが。(でもインクはかすれて見えない....)

最終日、2時間半。休みなく講義が続いたのだが、皆暑い中よく集中して頑張っていた。その間中、後ろでずっと立って何言ってるのか分からない授業を聞いている私の妙な集中力に、ニシャンタもジャイシンガーもお前は変だと言ってたが。

でも、面白かった。この6日間。ずっと講義に付き合ってきたが、本当に面白かった。それは受益者達が皆真剣に取り組んでいるから。それぞれの背景を知っているからこそ、ずっと見ていられたのだと思う。一人一人の頑張りから目を離すことが出来なかったというところだろう。この授業を見ないなんてもったいないと思ってずっと立って見ていた。今日で終わるのが残念だ。今回のこのトレーニング、リスト作製から今日まで、約1ヶ月で完了している。たったの1ヶ月で70名ほどの生活が改善されるのだとしたら、時間に対する効果は良いのではないかと思う。少なくともこの70人にとって、この1週間はとても大切な1週間になったはずだ。今後の頑張りに期待したい。

そろそろマイクロビジネストレーニングは終わりだといっているが、ニシャンタとジャイシンガーと私は、3人で見た(過去の調整員も見たはず)、あの靴製作のトレーニング、アレをやりたいよね~と改めて話した。

ニシャンタの斜め向かいの家。
ニシャンタによるもの。
裁縫のクラス。会計の計算問題。
先生に質問中。
オフィスのホワイトボードを使用。
 
手に書いて計算する生徒(奥)。 暑いのにそんなに詰めて
座らなくても....。
 


2月25日(日)
昨晩は、夕方に振り出した雨の為、暗くなってから停電してしまい、参った。ずっとロウソクの灯りとパソコン画面が頼り。インディカは、バッテリー式のランプを持っていて、それとコンロの火で料理を作ってくれた。ロウソクの灯りだけで食べる夕食もまあまあ雰囲気が有るような無いような....。部屋では天井のファンも回らないし、暑くて辛い。シャワーを使おうにも、ロウソクの灯で?とためらい、灯りがわりにパソコンを使う。画面に虫が集まってうっとうしい。そういえば日本って、停電しなくなったよなあとしみじみと思う。電気がないのがこんなに不便だなんて。近所も全部停電なのでとても静かな暗い夜だった。復旧したのは夜中の12時だった。

休み。トレーニングクラスの写真やデータ整理などで一日潰れる。

写真を見て思い出した。月曜にヒッカドゥワ方面の受益者のところへ行こうとしていたとき、葬式の列に出くわした。しかも、軍隊までが整列して準備をしている。これから行こうとしているところを大勢の人達が集まってふさいでしまっている為、車を止め、話を聞いた。22歳の若い軍人が、休暇で友人とバイクに乗っていたところ、列車と衝突して2人とも即死だと言う。それで軍隊までもが葬儀に参列しているのだ。そして名前を聞いてニシャンタが驚いた。受益者の弟だった。言葉もない。そのまま我々も道路沿いに並び、葬儀の列を見送る。軍隊の行列の後、旧式の大砲の上に棺を乗せ、その後に親族が続く。こうしてゴールロードを歩いて葬儀の会場へと行進していった。

別の話。この一週間はずっとトレーニングをやっていたのだが、どこからかその噂を聞きつけて、オフィスや寺に訪ねてくる人が多くて困った。自分も参加させてくれと言うのだ。我々は十分に調べ上げて受益者を選んでおり、しかも我々の許容出来る人数の限界に来ている。話は聞くが、基本的に断るしかない。大抵は資格が不足していたりしたようなので、ニシャンタとハリンディが時間をかけて話をしていた。しかし金曜などは、朝7時過ぎからオフィスに20人も詰めかけてきて、はっきり言って参った。こんなにも支援を必要とする人が要るということなのか。

ニシャンタが週末に一枚の手紙を苦笑いしながら見せてくれた。ある受益者が持ってきたという。内容は、ホテルの経営をしたいから、その設備を支援してくれと書いてあるらしい。ベッドにテーブル、シーツに....まあホテルに必要なもの全部だ。きちんと見積もられていて、総額としてとんでもない金額が書いてある。

援助すると言うのは、本当に難しいことだ。受益者の隣に住むただの酒飲み老人が「俺にも何かよこせ!」と言ってきたこともある。我々はプレゼントをしているのではない。そりゃあプレゼント渡せば相手は喜ぶだろうし、笑顔も見れることだろう。でも我々はそんな安い笑顔を見たいのではない。そんな一時しのぎに終わることをしたいのではない。もちろん、緊急支援の必要な状況下では、一時しのぎが最も大切なのは間違いない。しかし今我々がやっているのはマイクロビジネスアシスタンス。アシストだ。得点を決めるのは受益者本人。我々は全力で協力するが、努力するのは受益者本人。だからこそ、そこに本当の幸せや本当の笑顔があるんだと思う。真の目標を達成出来た時にはもう、我々はそこにはいないはず。我々が必要で無くなったときこそが彼女らのゴールなんだから。

葬儀の列。 軍隊も出席して荘厳な式。



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